カテゴリー「music」の記事

2008年11月22日 (土)

渡辺はま子 モンテンルパの夜は更けて

渡辺はま子
(1910年(明治43年)10月27日 - 1999年(平成11年)12月31日)





慰問歌手
渡辺はま子(わたなべはまこ、1910年(明治43年)10月27日 - 1999年(平成11年)12月31日)は戦前か ら戦後にかけて活躍した日本の流行歌手。神奈川県横浜市出身。本名加藤浜子。生涯横浜で過ごした。愛 称は「おはまさん」。横浜生まれで横浜育ちの、文字通りハマっ子の渡辺は美貌で知られた歌手であった 。祖父がアメリカ人でクオーターであった。

昭和8年(1933年)「武蔵野音楽学校」(後の武蔵野音楽大学)卒業。卒業後は、横浜高等女学校(後の 横浜学園高等学校)で音楽教師をしていたが、昭和10年の秋には教職を辞し、渡辺はビクターの流行歌手 に専念することとなる。同年、夏川静枝の朗読によるハンセン病患者に取材した放送劇「小島の春」のラ ジオ主題歌「ひとり静」を歌い、初のヒット曲となる。この曲をきっかけに、渡辺は終生を通じ、ハンセ ン病患者の病院の慰問を続けた。特に岡山愛生園では、療養所歌として今も愛唱されている。

昭和12年(1937年)4月コロムビアに移籍。翌年、皮肉にも流行歌の浄化を統制された国民歌謡の「愛国 の花」が渡辺にとっての移籍後のヒット曲第一号となる。この頃から、戦時下の上海など戦地への慰問も 積極的に行うようになり、「シナの夜」「広東ブルース」などの大陸を題材にした曲目が徐々に増え、人 々からは『チャイナ・メロディーの女王』『チャイナソングのおハマさん』と呼ばれ支持された。そのた め、慰問先の満州から松平晃が持ち帰った名曲「何日君再来」も渡辺が唄い、レコードが日本で発売され ることになった。

さらに当時はテイチクの専属であった満州の大陸女優、李香蘭主演の大ヒット映画の主題歌をコロムビア から国内で日本語で発売する際には、渡辺がレコーディングした。「いとしあの星」「蘇州夜曲」といっ た曲は渡辺、李両者の持ち歌として大ヒットを記録している。

戦地への慰問として訪れていた大陸の天津で終戦を迎え、捕虜として1年間の収容所生活を余儀なくされ る。が、その間も渡辺はま子は、日本人捕虜仲間を美しい歌声で慰めることを忘れなかった。日本へ帰国 後、外地から引き揚げてきた兄とようやく再会する事ができるが、不慮の病に失う不幸に見舞われた。

モンテンルパの夜は更けて ( 誰か昭和を想わざる より)
ここに一つの歌がある。「ああモンテンルパの夜は更けて」、昭和27年のヒット曲である。懐かしい針音 の前奏に出だしの1番は宇都美清という男性歌手のソフトな歌唱、2番を渡辺はま子が歌っている。哀切 極まりないメロディのこの曲はモンテンルパの獄中で、死刑判決を受けていた代田銀太郎が作詞、伊藤正 康が作曲したもので、同年の6月に譜面が渡辺はま子の元に送られてきた。同月には渡辺はま子自身の持 ち込みでビクターでレコード吹き込み、スター歌手の流行歌の持つ力は馬鹿にならない、それまでも復員 局の植木信良が受刑者減刑に打ち込んできていたが一個人の力には限界がある、渡辺はま子の「ああモン テンルパの夜は更けて」はすでに戦争の記憶が遠くなりかけていた日本人に大変な反響を巻き起こしたの だった。

そこで渡辺はま子はある決断を下す。それは現地のモンテンルパを渡辺はま子自身が訪れ、受刑者たち を直接、慰問する事だった。しかしフィリピン政府のビザはなかなか下りない。やむなく通過査証を使っ て見切り発車でフィリピン行きを決めた渡辺はま子。出発ぎりぎりになってフィリピン政府からビザが下 りる。これで晴れて戦犯慰問の名目でモンテンルパへと向かう事が出来たのである。「ああモンテンルパ の夜は更けて」には心ない人からの売名との中傷もあった。しかし海外渡航、それも戦犯の収容されてい る刑務所訪問など困難極まりない話を最後まで諦めずに実現させた渡辺はま子の熱意、これを本物と言わ ずして何と言おう。

モンテンルパの受刑者たちとの感激の対面を果たし、懐かしい日本の歌の数々を披露した渡辺はま子。 明けて昭和28年、「ああモンテンルパの夜は更けて」のメロディーを刻んだオルゴールがある人の元に贈 られた。フィリピンのキリノ大統領である。ようやくの思いで大統領との面会を果たした加賀尾秀忍は、 卑屈な泣き落としでの戦犯減刑などは頼まず、ただキリノ大統領にオルゴールを渡した。静かにオルゴー ルの音色に耳を傾けたキリノ大統領は「この哀しい歌は何という曲か」と加賀尾に問うた。「モンテンル パの死刑囚が作った曲である」との加賀尾の答えに、キリノ大統領はしばし沈思した。その後、1時間、 キリノ大統領は自身の戦争中の思い出を静かに加賀尾に語ったという。それは昭和20年、日米のマニラ市 街戦の最中、日本軍の攻撃に巻き込まれて最愛の妻と娘を失った話であった。加賀尾とキリノ大統領との 面会から1ヵ月、昭和28年6/27、モンテンルパの全受刑囚の日本送還と、全死刑囚59人の無期への減刑 がフィリピン政府によって発表されたのだった。7/22午前8時40分、白山丸にて一行は横浜大桟橋に帰 国した。

晩年
昭和56年、勲四等宝冠章を受賞。昭和60年におしどり夫婦として知られた渡辺の夫が亡くなったショック もあり、この頃から認知症を発症、平成元年に引退。引退後は認知症の進行及び脳梗塞に倒れたこともあ り、家族以外の者との会話がほぼ困難になり、最晩年は寝たきりの生活であった。亡くなる5日前の平成 11年のクリスマスの日、長女は渡辺にモンテンルパ慰問の際に録音したテープを聞かせると、普段は病気 のため表情を変えることのなかった渡辺が長女の言葉に何度も頷き、一筋の涙を流したという。遺言に従 い親族だけで密葬を済ませ、平成12年1月、かつての所属会社のビクターから正式に渡辺の死が明らかに された。


参考リンク;
渡辺はま子 (Wikipedia)
誰か昭和を想わざる モンテンルパの夜は更けて
誰か昭和を想わざる 昭和歌手名鑑

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2008年10月 6日 (月)

パンク対ヘビーメタル ・・・?

パンク対ヘビーメタル ・・・?




(1990年4月21日)

出演者 -
「みんなちゃんとしてますよ。」

司会者(芥川賞作家・大学教授) -
「もういいよ。俺だってやだよ。最初からおかしいよ。おかしい矛盾。」(※OA経過30分後)



参考リンク ; 小熊英二の東大軽音時代〜80年代自主制作音楽事情回想
「。。。ただ80年代のインディー界のほうが、良くも悪くも思い込みが激しいというか、ロックに対して幻想がまだ持てていた時代だったので、今の人たちより「自分たちの世界に真剣にどっぷり」というバンドが少なくなかった(出していた音の質の良し悪しは別として)ということは言えるかと思います。録音をしてレコードを出すということじたい、当時は現在とは比較にならないくらいお金もかかり特別なことでしたから、余計にそうだったと思います。」




♥80s ?


関連記事 ; インディーズの襲来

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2008年9月24日 (水)

THIS IS SKA!

THIS IS SKA!


This is SKA! ディス・イズ・スカ!




ビデオでの演奏曲目 ;
  1. JAMAICA(N) SKA / Byron Lee And The Dragonaires
  2. LAST NIGHT (SKA) / Byron Lee And The Dragonaires
  3. SAMMY DEAD(-O) / Eric “Monty” Morris
  4. ONE EYED JACK(S) / Jimmy Cliff
  5. WASH WASH / Prince Buster
  6. TREAT ME BAD / The Maytals
  7. SHE WILL NEVER LET ME DOWN / The Maytals
  8. SO MARIE / The Charmers
  9. ROUGH AND TOUGH / Stranger Cole
  10. TWO ROADS BEFORE ME / Roy Panton And Yvonne Harrison
  11. I DON’T KNOW / The Blues Busters
  12. SAMMY DEAD-O / Byron Lee And The Dragonaires
  13. KING OF KINGS / Jimmy Cliff




 アフリカ、ヨーロッパ、北アメリカと、地元民族との出会いの場所であるカリブ海には、驚くほど幅 広い音楽文化が存在する。
 国民全体の所得が低い国では、家で聴くためのレコードに金を注ぎ込む人はあまりいないが、みんな で集まって踊りたいと思うのはどこでもいっしょである。ほかのカリブ諸国では、この欲求を満たすた め、19世紀にルーツを持つ音楽 - サルサ、ソカ、サンバ、カリプソ - でパーティーをしていたが、ジ ャマイカでは民族音楽メントもそれほど広まっていなかった。さらに、ジャマイカが戦後急速な都会化 に向かうと、新たな都会生活に似合ったサウンンドトラックが求められるようになる。
 それがアメリカ音楽、ひいてはアメリカから影響を受けた音楽だった。アメリカに住む多くの移民か ら故郷にレコードが送られてきたこともあり、さらにジャマイカはアメリカ本土に近いためラジオ放送 も受信できた。特にマイアミのWINZ、ナッシュビルのWLAC、ニューオーリンズのWNOEなどがよく聴かれ ていた。
 穏やかな夜にはファッツ・ドミノやアモス・ミルバーン、ロイ・ブラウン、プロフェッサー・ロング ヘアなどのサウンドが、何千人というジャマイカ人のAM受信機に流れ込み、メンフィスやニューオーリ ンズの音楽を、そのシンコペーションの効いたシャッフル・ビートとともに、この島の音楽テイストの 核心に送り込んだ(後年大きな影響力を与えた人気アーティストにはオーティス・レディング、サム・ クック、ソロモン・バーク、ベン・E・キング、リー・ドーシーらがいるが、特にカーティス・メイフ ィールドの影響が大きい。)ジャマイカの近年の音楽史は、大部分がこうしたアメリカからのサウンド に対する答として見ることができる。スカ、ロック・ステディ、その後のレゲエ、すべて輸入音楽を地 元で解釈し直したところから生まれている。

 全長200マイルしかないこの熱帯の火山島で、ダンス・ミュージックのきわめて本質に関わるコンセ プトの多くが初めて肉体を得た。
 「あんな小さなところに、こんなでかいものが詰まってるんだ。」ジャマイカ音楽の世界的権威、ス ティーヴ・バロウは、驚嘆をあらわにする。「ジャマイカを見たら、だれでもまさかと思うだろう・・ ・あんなちっぽけな場所が、あれだけの影響力を持てるはずがないって。でもリミックスはどこから出 てきた?ミックスでドラムとベースを前面に出したのは?パーソナリティDJが自分だけのダブ・プレー トをプレイするのは?だれにも否定できないさ。デッキを操作する人間が操るテクニック - そのほと んどがジャマイカで発展したんだ」




(「レゲエ/無限のヴァージョン」
Last Night A DJ Saved My Life ; そして、みんなクレイジーになっていく』
 共著 ; ビル・ブルースター & フランク・ブロートン より抜粋)



関連記事 ; Soul Weekenders

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2008年9月14日 (日)

Patti Smith - "NY is the thing..."

Patti Smith - "NY is the thing..."


Patti on NY -


“New York is the thing that seduced me.
  New York is the thing that formed me.
  New York is the thing that deformed me.
  New York is the thing that perverted me.
  New York is the thing that converted me.
  And New York is the thing that I love too.”

  (from an interview on the BBC in 1971)


Dream of life (trailer)



関連記事 ; CBGB Remembrance - 1973-2006

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2008年8月12日 (火)

New Romantics

New Romantics


Only came outside to watch night fall with the rain
I heard you making patterns rhyme like
Some new romantic looking for the TV sound
I'll see you're right some other time love
Duran Duran - Planet Earth


A Fine Romance
documentary chronicling the rise and fall of the New Romantic movement of the early 1980s.(duration ; 50min)




Top Ten 80s New Romantics
documentary reminiscencing about top 10 influential artists of the New Romantic movement of the 1980s. (duration ; 75min)




ロンドン・クラブ・ファッションの変遷(長澤均)
 この10年、クラブがファッションに及ぼした影響は計り知れない。それはパンクが終わった70年代後半のニュー・ロマンティックスより始まった。そしてクラブ・ファッションがアシッド・エイジの洗礼を受ける80年代後半まで、さまざまなデザイナーがさまざまなアイデアをストリートに投げかけていった。これは音楽とクラブを繋ぐもうひとつの文化史だ。

『ハイ・ファッションとストリートの間』
 そもそも80年代の大きな潮流となるファッションは70年代半ばに、その端緒が形成されたものだ。いわずと知れたパンクからニューウェイブの流れである。
 まず、ある新しいスタイルはミュージック・シーンと連動してストリートで形成される。それはつねに、それ以前のモードへのアンチ・スタイルとして現れるが、広範な支持者を得るに従って服飾業界のシステムにのったモードへと変質してゆく。この過程でストリート・スタイルを加工し、モードの領域に移行させるデザイナーがいる。いわゆるインディーズ・ブランドと呼ばれる存在である。そしてハイ・ファッションの世界が、ストリート・スタイルをモードとして公認したとき、すでにそこにはストリートの荒々しさや生命力は跡形もない、というわけだ。

『クラブから生まれた「ニュー・ロマンティクス」』
 クラブとファッションの相互侵犯関係はパンク終熄後に始まった。その最初の大きなムーヴメントは78年頃に始まる「ニュー・ロマンティクス」である。パンクの"破壊"から一種の"創造"へと移行する時期に生まれたこのムーヴメントのスポークスマンとなったのはスティーヴ・ストレンジである。当時の人気ショップ[P・X]の店員であった彼が、元リッチ・キッズのドラマーでDJ、ラスティー・イーガンとソーホーにある[ビリーズ]を週一回借りて始めたクラブが、ポスト・パンクの最初の動きとなる。彼らはその後、コヴェント・ガーデンの[ブリッツ]に場所を移すが、ここにクリエイターやその卵、いわゆる"BLITZ KIDS"が集まり、まず「フューチャリスト」と呼ばれるモノトーン主体の未来派スタイルが生まれる。いうまでもなくクラフトワークに代表される、当時のテクノ・ミュージックの流行にインスパイアされたものだ。しかしこれも長くは続かず、80年代に入り、彼らが場所を[ヘル]に変えた頃から、今度は手の平を返したようにヴィクトリアン・ファッションが流行り始める。この復古スタイルはあっというまに[ラ・キルト]や[ビートルート]といったクラブに及び、さらにはスパンダー・バレーなどのミュージシャンをも巻き込み、ニュー・ロマンティックスという大きなムーブメントとなるのである。
 クラブから新しいファッションが生まれるという、80年代以降、特徴的になる傾向はここから始まったといってよい。この80年代初頭は、クラブやその周辺からインディペンデントのデザイナーが数多く生まれた時期でもあった。有名デザイナーのアシスタントをしたわけでもなく、むろんコレクションを開く資金もないデザイナーたち、しかし彼らがストリートとモードの世界の仲介役を果たしたことは確かである。
 そんなひとりにアンドリュー・ローガンがいる。アクセサリー・デザイナーであった彼は72年から「オルタナティヴ・ミス・ワールド」という催しを始める。これはミスコンのオルターナティヴ版という主旨で始まったが、実質的にはインディーズ・ファッション・ショーというべきものであった。[GOLD]のアースクェイクを思い浮かべてもらえばいいだろう。ごく内輪で始まったこの催しも81年には[オリンピア]のような大会場で催されるようになり、ロンドンのクラブ・ファッションに多大な影響を与えることになる。ちなみに75年、デビュー前のセックス・ピストルズが演奏したところのひとつに彼の家のパーティーがある。
 帽子デザイナーとして今や、世界的に有名になってしまったスティーヴン・ジョーンズもこの時期に登場したひとりだ。ニュー・ロマンティックス系のファッション・デザイナー、スティーヴン・リナードや無名時代のボーイ・ジョージと同じ通りのスクワットに住んでいた彼も、他のふたりと同様、有名になることでそこから抜け出たのである。
 80年代を通してクラブ・ファッションがどのように変遷したか。そこにはやはり馬鹿々々しいほど単純な法則が働いていたにすぎない。ミュージック・シーンと連動して生まれた流行がある飽和状態に達したとき、すでにそれを否定し、あるいはのりこえる次のスタイルが生まれているということだ。しかしそれも蛇の脱皮のようなもので本質はたいして変わりはしない。社会的制服=スーツに対するアンティパシーによってクラブ/ストリート・ファッションも別の社会的制服を形成しているだけのことである。ファッションというものが本質的に持つ、絶えざる"差異化"と"同質化"という二重構造は、ときに極端なまでにディテールの違いにこだわるかとおもえば、ときに極端なまでに他人と同じになるスタイルを生み出す。しかしそれこそがファッションなのだ。90年代もまた、この二重構造のきしみのなかで新しいユース・カルチャーが生まれるはずである。

クラブ・ミュージックの文化誌(1993年) より抜粋

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2008年8月 9日 (土)

三里塚 幻野祭

三里塚「幻野祭」 (1971年8月14日-17日)



野次馬雑記 より ;

朝日新聞 1971年8月11日-15日にかけての記事 ;

石井新二さん、23歳。彼は成田空港建設反対の青年行動隊員である。
成田の農民にとって、反対闘争は日常化し、生活の一部だ。特殊のものではない。
ふつうの生活には、時期がくればまつりがある。だから、三里塚にまつりがあってもおかしくはない。
「民青みたいだ」との批判があった。シンジは答えた。「民青はもっと統制がとれてシッカリしてるよ」

ただ、この「まつり」には反対同盟や支援学生からの風当たりも強かった。

戸村一作反対同盟委員長 ;
私は祭ということばの響きが好きじゃない。体質的にあわないよ。祭りには思想がない
フーテンやピッピーがギターをかき鳴らす・・。それで人集めしたって・・・
闘争はもっときびしいよ。三里塚農民の涙、怒声、旗、マイクの声、これが私の生活のなかの祭り。
祭りという復古化粉砕、反権力ということがわかっていないんだよなあ

「加藤登紀子、ナンセンス。知床旅情なんか歌うより地下ごうを掘らせろ。その方が反対闘争にとって意義がある。」
駒井野団結小屋の地下ごうからドロだらけで出てきた中核派の学生が言った。
ロックで踊り狂うバカどもに毛沢東語録でも読ませろ。その方がよっぽど反対闘争にとって意義がある。」
これは援農でスイカの取り入れをしていたML派学生
常駐学生は祭りに批判的である。「第二次代執行に向けてなんらの意義がない」


頭警・パンタの対談記事 (テーゼ機関誌『インペリアル・シアター vol.1』(1989年)) より ;



YOSHIAKI ;
その翌年(1971)に三里塚の幻野祭がありますよネ。
で、幻野祭に関しては、「出ない方がよかった」ってことだそうですけど…。

PANTA ;
いまだにそう思います。だから、農民のためのお祭をやるんだったら盆踊りの方がよかったといまだに思ってる。
だから、あれは、ホント、学生のための…でしょ?

YOSHIAKI ;
でも、青年行動隊が頭脳警察のファンだったとか…

PANTA ;
うん、実はそうなんだよネ。だから、結局 熱意に負けたっていうか、折れて…。
そのへんが主体性ないんだけどさ、果たして、あれが良かったのか悪かったのか、そんなこといっても仕方ないけどネ…。

YOSHIAKI ;
そういう事実があったということしかネ…。でも、革共同集会にしても、幻野祭にしても… 
特に幻野祭はレコードになって再発までされて…。
そうすると、実際の三里塚を知らない人…、あるいはゲリラとか内ゲバとかって印象しかない人にとっては、
特にそういったイメージで見ちゃうからなおさらなんだろうけど…、
「三里塚でコンサートがあって、それに頭脳警察が出ていた!これはスゴイ!」って感じで、
妙に話がふくらんでしまう。雑誌など、そのあたり実に無責任というか、平気でそういうこと勝手に書きますからネ。。。


三里塚 成田闘争 関連video (YouTube playlist)


参考 ; '80年代ノンセクト左翼運動とサブカルチャー

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2008年7月 7日 (月)

Reich in Tokyo

Reich in Tokyo

"...In my generation we tore the wall down and now we are back to the normal situation,
for example if Brian Eno or David Bowie come to me,
and if popular musicians remix my music like The Orb or DJ Spooky it is a good thing.
This is a natural normal regular historical way. " — From an Interview with Jakob Buhre

Steve Reich live at Tokyo Opera City's Composium 2008

It was the culminating event in Composium 2008, a several day affair at Tokyo Opera City
featuring works by Reich, including the Japanese premiere of Daniel Variations and
a performance of Music for 18 Musicians with the composer as guest artist.



live at Takemitsu Memorial in Tokyo Opera City Concert Hall
(20080521)
"Daniel Variations"
"Music for 18 Musicians"

live recording at NHK 101 Studio
(20080225)
"Different Trains"


SteveReich.com (Official Website)

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2008年3月22日 (土)

白石民夫とダメなあたし(ロリータ順子Vocal)

65937407_79_2 白石民夫とダメなあたし(ロリータ順子Vocal) - ムキムキマン









TACO - 人捨て節


TACO - 嘔吐中枢は世界の源



Taco - 天国注射の昼 - 1983


タイトル ポケットは80年代がいっぱい
著者 香山リカ

定価 1,575円(税込)
ISBN 978-4-86238-082-1
出版社 バジリコ
発売日 2008/2/28
内容 サブカルチャーの生き証人・香山リカが描く、オシャレ・キュート・アヴァンギャルドな80年代の日々。
伝説の雑誌「HEAVEN」 「」はじめ、貴重な雑誌レコードの写真も収録。
1981 年、サブカルチャー勃興期の渋谷。伝説のカルト雑誌『HEAVEN』の編集部が、香山リカの出発点だった。
そこは祖父江慎町田町蔵巻上公一戸川純浅田彰らが集い、最先端のカルチャー情報が飛び交う、
ちょっと危険な香りが漂う文化サロン。その過激で濃密な交流の日々とは? 
新人類」「ニューアカデミズム」「ニューウェーブ」「テクノ」「スキゾキッズ」など数々のキーワードを生み、
多くの才能を生み出した80年代サブカルチャーの現場を描く、オシャレ・キュート・アヴァンギャルドな80年代クロニクル。
「ニューアカデミズムの旗手」中沢新一と香山リカとの対談『「ニューアカ」と「新人類」の頃』も合わせて収録。

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2007年12月31日 (月)

Rita Martinson - "Soldier, We Love You"

Rita Martinson - "Soldier, We Love You"

"Soldier, We Love You" lyric ;

I read that you took a stand
And refused to kill in Vietnam.
You said no man was your enemy
What he's fighting for is to be free.

Ghetto streets lead nowhere
Ghetto cries fill the air.
Uncle Sam's in Nam to loot and rob
And people starve at home cause there's no jobs.

Oh ain't it hard
To smile sometimes?
I know it's hard
To smile sometimes.

Soldier, we love you
Yeah, soldier we love you
Standing strong
'Cause it's hard to do
What you know you must do
Cause it's true
Yes, it's true.

They locked you up in their stockades
Yeah, they locked you up 'cause they're afraid
That you would rap and spread the word
But you can't jail truth, it will be heard.

Oh, ain't it hard
To smile sometimes?
I know it's hard
To smile sometimes.

Soldier, we love you
Yeah, soldier we love you
Standing strong
Yes, it's hard to do
What you know you must do
Cause it's true
Yes, it's true.

FTAとは、ジェーン・フォンダらの参加した反ベトナム戦争のロードショー・グループ。
1971年12月13日に、ベ平連も連帯しつつ、復帰前の沖縄 コザ琉米親善センターで、2千名の米兵を前に公演した。

FTAの活動は翌1972年、ドキュメンタリー映画 " F.T.A. "にまとめられた。同作は長らく観賞困難な状態だったが、その一部が2005年公開のドキュメンタリー映画 " Sir! No Sir! "に使用された。

沖縄でのFTAショー(ドキュメンタリー映画" Sir! No Sir! "からの引用)

 

現在、" F.T.A. "はGoogleVideoで全編公開(以下参照)となっている。


 

関連post ; ベ平連 小田実(1932年6月2日-2007年7月30日)

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2007年12月13日 (木)

Tropicalismo

Tropicalismo

In 1964, Humberto Branco had taken over the government in a military coup, recessed the Congress, and started cracking down on leftists and political rivals.
At the same time, hordes of idealistic youth like Gilberto Gil poured into the capital, bringing fresh ideas and creative new directions in music, film, and art - and challenging the military dictatorship.

With Caetano Veloso, Gil was one of the founders of Tropicalia, a musical movement born in 1967, which was influenced by poesia concreta, a genre of Brazilian avant garde poetry,and fused bossa nova with Brazilian folk music, rock, and political and social messages.
At the same time, the Tropicalia art movement was exploring new directions in graphics and architecture, while Cinema Novo (New Cinema) directors were exposing the country's vast poverty.

The new generation of Brazilian artists absorbed everything from campus protests in Berkeley and Black Panther rhetoric to the French New Wave and Norman Mailer as they formulated their own contributions to the late-60s creative explosion.

Tropicalismo Playlist

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2007年12月11日 (火)

R.I.P. Mel Cheren ; Paradise Garage Memorabilia

R.I.P. Mel Cheren ; Paradise Garage Memorabilia

Mel Cheren (January 21,1933 - December 7, 2007) was a New York gay entrepreneur and owner of West End Records.
West End Records was co-founded by Mel Cheren in New York City in 1976 and predominantly published disco music.
Mel was romantically involved with Michael Brody, the owner of the famous Paradise Garage club, for which Mel also provided financial backing.
West End Records was closely associated with the Paradise Garage and Larry Levan.
Mel offered GMHC a couple of rooms for offices in a rooming house in Chelsea owned by him.
He died of complications of AIDS on December 7, 2007.

A memorial is planned for January 21, 2008, the date of his birthday.

Mel comments on Paradise Garage & Larry Levan
(from Channel 4 documentary "Pump Up the Volume" aired in 2001)


Love Saves the Day - The Birth of Disco

 


Gwen Guthrie Live at the Paradise Garage Closing Party


 

In 2003, Cheren penned the autobiography My Life and the Paradise Garage, a heartfelt first-hand look at the destruction of the music culture from the AIDS epidemic, which, sadly, is the very thing that ended his own life.

My Life and The Paradise Garage : Keep On Dancin'

パラダイス・ガラージの時代 ― NYCクラブカルチャー・光と影
 


The Godfather of Disco

Pioneer. Activist. Survivor. The Godfather of Disco is a documentary based on Mel Cheren's autobiography, My Life and the Paradise Garage: Keep on Dancin'. Through a series of interviews with a whos who of the dance music community, Mel's extraordinary story is recounted.

The Godfather of Disco Trailer




related Links ;
West End Records
West End Records on YouTube
West End Records on MySpace
West End Records on Discogs

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2007年11月 7日 (水)

How to DJ

How to DJ Part 1


"How to DJ Part 1" は1989年に作成されたDJ教習ビデオ
ヤン富田が製作し、教材用に付属した2枚組み12インチ"Dr. YANN’S BEAT CLASSICS #1 for DJ"は、(一説にはテイ・トウワを経由して)ジャングル・ブラザーズの耳に止まり、彼らの2ndアルバム"Done By Force Of Nature"のタイトル曲に使用された。

"How to DJ" YouTube playlist




いとうせいこう - 噂だけの世紀末
(アルバム " MESS/AGE " 収録)





Wild Style promotion in japan

Wild Style promotion in japan (11PM)



Wild Style promotion in japan (こちら600情報部)



Wild Style promotion in japan (笑っていいとも)



Wild Style promotion in japan (タモリ倶楽部)



ULTIMATE DJ HANDBOOK
いとう せいこう (編集), ULTIMATE CREW (編集) で、上記ビデオと同時期に発売された。(発売: 1988/12)

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2007年8月 8日 (水)

東アジア反日武装戦線

東アジア反日武装戦線

「終曲」 (斎藤和 作)
  凍てた花はすぐ枯れる。
  でも新しい芽は割れ
  水は音を立てて流れ始める。
  君と一緒なら
  でもわたしには
  戦が待っている。


「...人間というものは本当に不思議なもので、ニヒリズムを通過してこそ真の理想主義にいきつく。
 あの人たちの世界は狭いが、結局僕も同じともいえるのですね。 僕は人を殺すために爆弾をつくっているわけじゃなくて、人の胸の中で何ものかを 爆発させようと思って一生懸命考えている。似たことをやっているのですね。 やはり、ある種の精神を圧殺し、ある種の精神を解放しようと思っているわけです。 そして、あの人たちは間接的にでも人を殺したら、自分をも殺さねければならないと 思っていたわけですね。これはいいことだと思いますよ。
 革命家は、毛沢東でもレーニンでも、革命が終わった日に、皆自殺すべきだ。 権力者となって生き残ったら、革命家としては終わり、というのが僕の持論です。 爆弾闘争を行った青年たちには大衆の支持がなかった、という批判があるが、 多くの人の支持を得るということは、もともとむずかしいですね。 結果においての支持であって、支持は理論以外で求められない。 しかし、理論というものはある運動の形成を経ないとできない。
 何といっても、いろんなことをやっているうちに中の数人が考えて理屈づけるということで、 初めに理屈があったわけじゃないんですよ」
(埴谷雄高 「週刊現代」昭和50年6月12日号)


埴谷雄高独白 死霊の世界 ( 「政治をめぐる断想 (1951) 」 から 「永久革命者の悲哀 (1956) 」)




    さらば日本 滅び行け日本よ
    被征服原住民の血の海の中に
    被征服原住民の肉と骨とで建国された
    征夷天皇日本よ
    俺は友を募りて旅に出る
    お前を撃ち滅ぼす為の
    お前を地上から永久に消し去るための
    世界革命の長途へと
    手には怒りの武器を持ち
    心は詞花で武装して
    我等は勝利の旅に出る
    いざ集え 輩よ
    我等が反日の旅立ちで
    (REAL & CONTEMPORAINE 又は A-MUSIK - 「反日ラップ」)

       壊され歪められた この体のジュースを
     ここで枯らしてやるのさ 生き返るためにと
     次に続く赤子たちには 新しい夢 くれてやるのさ
     俺のために お前のために おのれのためにと
    勝ち誇ったやつらの 息の根を止めるために
     燃え立ちあがる炎は 黒煙を導き
     くすんだ光に照らし出される バルーンで迎え撃つ
     銀色の鳥は干からびた明日を目指して
     歪みきった地の果てへと 高く鳴いて飛び立つ
     勝ち誇ったやつらを 食いちぎるためにと
      東の大地に埋もれた たくさんの骨は
      モンスーンに乗ってやってくるぜ 牙を向いた顔で
      俺の体によみがえれ 黄色の砂と交えて
      誰のために 誰のためにと 言うこともなく
      (REAL - 「大地の牙」)



東アジア反日武装戦線は、1960年代後半の黒ヘルグループに源流があり、日本国家をアジア侵略の元凶と見なし、解体することを目標とした。運動は1970年代半ばに集中し、連続企業爆破事件を引き起こした。中核派革労協革マル派が、党派闘争で手一杯の時期に台頭した。
思想や主張の内容から、監視対象とされた一名に対する捜査により、1975年5月19日、芋づる式に逮捕され壊滅する事となった。 一連の事件は、“”、“大地の牙”、“さそり”の三班に分かれて起こしている。

1971年(昭和46年)
大道寺将司(まさし/法政大中退、会社員)が片岡利明(法政大中退、会社員)、大道寺あや子(大道寺将司の妻/星薬科大卒、会社員)と東アジア反日武装戦線<狼>グループの前身部隊を結成した。
12月12日、大道寺らによって、熱海にある「興亜観音像」と「殉国七士の碑」を同時に爆破。

1972年(昭和47年)
4月6日、東アジア反日武装戦線<狼>前身部隊が、朝鮮に対する日本の侵略支配を正当化するものであるとして、鶴見の曹洞宗大総持寺常照殿(納骨堂)を爆破。
10月23日、東アジア反日武装戦線<狼>前身部隊が、アイヌモシリ侵略思想とアイヌ文化遺産収奪の拠点としての役割を果たしてきた北海道大学文学部の北方資料館と、日帝 ― 道庁 ― 日本人植民者によるアイヌモシリ征服の過去を形容する「風雪の群像」を同時に爆破。 

1974年(昭和49年)
3月に大道寺将司、片岡利明、佐々木規夫らによって“狼”部隊が結成され、腹腹時計(兵士読本VOL1)を出版する。

腹腹時計』 (はらはらとけい)
1974年3月に発行され、爆弾の製造方法とその仕掛け方やゲリラ戦の方法までを詳細に解説した教程本。「兵士読本VOL1」とも呼ばれる。 奥付けは、<兵士読本VOL.1 一九七四年三月一日発行 頒価一〇〇円 編集・東アジア反日武装戦線〝狼〟兵士読本編纂委員会 発行・東アジア反日武装戦線〝狼〟情報部情宣局 東アジア反日武装戦線〝狼〟情報部印刷局>となっている。

8月14日、東アジア反日武装戦線<狼>グループは、この日の午前10時58分~午前11時2分に、東京と埼玉の間にある荒川鉄橋を通過する「御召」列車(天皇は毎年7月末ごろ、那須御用邸にいき、8月14日午前に特別列車で帰京して、翌15日の戦没者追悼式に出席する)を爆破する計画(天皇暗殺攻撃=虹作戦)を立てていたが中止した。 
8月15日、韓国において、時の大統領朴正煕を暗殺しようとした事件が発生していた(文世光事件)。この事件の犯人文世光は、黒ヘルと多少の繋がりがあるとされるプロレタリア軍団傘下の高校生組織「暴力革命高校生戦線」出身であった。
8月30日、午後0時45分、東京・丸の内にある三菱重工業ビル(現・文部科学省ビル)1階ホールが、正面玄関前に“狼”が仕掛けた時限爆弾によって爆破された(三菱重工ビル爆破事件)。サラリーマンら8人が死去、380人が負傷

三菱重工爆破事件ドキュメンタリー

10月14日、午後1時過ぎ、<大地の牙>グループの斎藤和(都立大中退、ウエイター)、浴田(えきた)由紀子(北里大卒、臨床検査技師)らが、東京都港区西新橋の三井物産本社を爆破。
11月25日、東アジア反日武装戦線<狼>グループが、東京都日野市の帝人中央研究所を爆破。
12月10日、東アジア反日武装戦線<大地の牙>グループが、東京都中央区銀座2丁目の大成建設本社を爆破。
12月23日、東アジア反日武装戦線<さそり>グループの黒川芳正(都立大中退、会社員)、宇賀神寿一(うがじんしんいち/明治学院大生)、荒井まり子(法政大中退、東北大付属医療技術短大生)らも合流し、東京都江東区の鹿島建設工場敷地内を爆破。
12月23日、“さそり”によって鹿島建設が爆破。

1975年(昭和50年)
2月28日、東アジア反日武装戦線の3つのグループが、東京都港区北青山の間(はざま)組本社ビルと埼玉県与野市(現・さいたま市)の間組大宮工場を同時に爆破。
4月19日、東アジア反日武装戦線が、銀座7丁目の韓国産業経済研究所、尼崎市のオリエンタルメタル社を爆破。
4月28日、東アジア反日武装戦線が、千葉県市川市の間組作業所を爆破。
5月4日、東アジア反日武装戦線が、間組の京成江戸川橋鉄橋工事現場を爆破。
5月19日、東アジア反日武装戦線の大道寺将司(当時26歳)、佐々木規夫(当時26歳)、大道寺あや子(当時26歳)、片岡利明(当時26歳)、斎藤和(当時27歳)、浴田由紀子(当時24歳)、黒川芳正(当時27歳)、荒井まり子(当時24歳)の8人が韓国産業経済研究所爆破容疑で逮捕された。メンバーは逮捕された場合は青酸カリで自決するように決意していたが、逮捕時に青酸カプセルを飲んで自決し得たのは斎藤和のみであった

東アジア反日武装戦線 連続企業爆破事件 - 1974&1975

5月23日、東アジア反日武装戦線の宇賀神寿一(当時22歳)、桐島聡(当時21歳/明治学院大生)が韓国産業経済研究所爆破容疑で全国指名手配された。
5月25日、東アジア反日武装戦線が、東京の立川警察署北口交番など9ヶ所の交番を爆破。
5月28日、荒井まり子の姉のなほ子が走行中の列車から飛び降り自殺した。
6月13日、「七士の碑」など4件の共犯者とされた藤原義美(元法大生)も自殺した。
7月19日、東アジア反日武装戦線が、北海道警察本部警備課内を爆破。

[ クアラルンプール事件 ]
8月4日、日本赤軍の奥平純三、日高敏彦、和光晴生、丸山修、山田義昭と思われる5人がマレーシアのクアラルンプールのアメリカとスウェーデン両大使館を占拠し、アメリカ総領事らの人質と交換に、日本で勾留中の赤軍派の坂東国男、日本赤軍の西川純、戸平和夫、赤軍派の松田久、東アジア反日武装戦線の佐々木規夫を釈放させ、日航機でクアラルンプールに送り、日本赤軍は奪還した5人とともにリビア入りした。日本で勾留中の京浜安保共闘の坂口弘と赤軍派の松浦順一は出国を拒否した。

日本赤軍 クアラルンプール事件 - 1975


これ以降も、東アジア反日武装戦線によって切り開かれた爆弾闘争は、同戦線を名乗る後続部隊からさらに、「世界赤軍日本人部隊やみのつちぐも」「世界革命戦線大地の豚」「世界革命反日戦線・タスマニア1876」といった新グループによる神社や大学、企業などへの攻撃と多角化していく。また、「東アジア反日武装戦線KF部隊」「手・足としっぽの会」「反帝反日通信編集委員会」の名で、東アジア反日武装戦線の教本であった『腹腹時計』などの続編や爆弾闘争支援文書も刊行され、爆弾志向の潜在的広がりをみせる。

1976年(昭和51年)
1月6日、世界赤軍日本人部隊やみのつちぐもが、平安神宮を放火。
3月2日、東アジア反日武装戦線が、札幌市の北海道庁を爆破。同庁舎1階ロビーに仕掛けられた時限爆弾が爆発し、2人が死亡、95人が重軽傷を負った。この日は、1899年(明治32年)に制定された「北海道旧土人保護法」の公布日に当たっていた。爆発後、市営地下鉄大通り駅のコインロッカーから、東アジア反日武装戦線の署名入り犯行声明文が見つかった。それには、<道庁を中心に群がるアイヌモシリの占領者どもは、第一級の帝国主義者である>と書かれていた。 公安警察は、これらの爆弾犯人として加藤三郎をマークしていた。加藤は岐阜市内で職務質問を受けた際、爆弾材料の除草剤などを残して逃走した。加藤の行方を突き止めるために、交友関係を洗っているうちに、大森勝久が浮かんできた。大森は道庁事件現場で目撃されている不審な人物に肉体的特徴が似ていた。捜査本部は札幌市の間借り先を家宅捜査し、爆弾製造に使う工具を発見した。
8月10日、大森勝久は爆発物取締法違反容疑の別件で逮捕された。
9月1日、さらに、大森は道庁事件で再逮捕され、道警事件で再々逮捕された。だが、大森は完全黙秘を続けた。
9月10日、警察庁は大森の共犯者として、加藤三郎を全国に指名手配した。

1977年(昭和52年)
1月1日、世界赤軍日本人部隊やみのつちぐもが、京都梨木神社を爆破。
2月21日、世界革命戦線大地の豚が、大阪東急観光を爆破。
5月2日、世界革命戦線大地の豚が、東大法文1号館を爆破。
6月30日、世界革命反日戦線・タスマニア1876が、三井アルミ社長宅を爆破。

[ ダッカ事件 ]
9月28日、日本赤軍の丸岡修、和光晴生、佐々木規夫、坂東国男、西川純と思われる5人が、日航機をハイジャックし、バングラデッシュのダッカ空港に着陸させ、乗員・乗客151人の人質と交換に、日本赤軍メンバーなど9人の釈放を要求した。 その9人とは、日本で収監中の日本赤軍の奥平純三、東アジア反日武装戦線の大道寺あや子と浴田由紀子、赤軍派の城崎(きのさき)勉と植垣康博、京都地方公安調査局爆破事件の大村寿雄、当時の皇太子夫妻に火炎ビンを投げつけた(ひめゆりの塔事件)知念功、無期懲役刑中の強盗殺人犯の泉水(せんすい)博、懲役10年の判決を受け控訴中の殺人犯の仁平(にへい)映である。泉水、仁平は、獄中で待遇改善要求闘争などを展開している「獄中者組合」のメンバーであった。
10月1日、この9人のうち、植垣、大村、知念の3人は、立場が違うなどの理由で出国を拒否したが、奥平純三、大道寺あや子、浴田由紀子、城崎勉、泉水博、仁平映の6人は釈放に応じた。6人を乗せた日航機は羽田を出発し、午後、ダッカ空港に到着した。釈放犯6人、現金600万ドル(当時で約16億円)と交換に人質が解放された。その後、クウェート、シリアを経て、6日間の飛行ののち、アルジェリアのダニエル・ベイダ空港で人質全員を解放した。 当時の福田赳夫首相は「人命は地球よりも重い」と述べ、犯人の要求をのんだ。この「弱腰対応」は世界各国から批判を浴びた。 尚、浴田は1995年3月24日に日本赤軍の一員としてルーマニアで潜伏活動をしていたところ身柄を拘束され、偽造有印私文書行使の容疑で国外退去となり日本へ向かう飛行機内で逮捕、裁判で懲役20年の判決を受け、現在栃木刑務所にて服役中。2017年3月22日出獄予定。

日本赤軍 ダッカ日航機ハイジャック事件 - 1977

ひめゆりの塔事件 - 1975

10月27日、部族戦線が、東京都渋谷区の神社本庁を爆破。この時点で部族戦線のリーダーが加藤三郎ということが判明した。
11月2日、世界赤軍日本人部隊やみのつちぐもが、東本願寺大師堂を爆破。

1978年(昭和53年)
10月28日、東アジア反日武装戦線が、間組第2ハザマビル工事現場を爆破。

1979年(昭和54年)
11月12日、東京地裁は大道寺将司、片岡利明に死刑、黒川芳正に無期懲役、荒井まり子に懲役8年の判決を言い渡した。弁護側は控訴した。

1982年(昭和57年)
7月12日、東アジア反日武装戦線の宇賀神寿一が逮捕された。
10月29日、東京高裁は東京地裁での大道寺将司、片岡利明、黒川芳正、荒井まり子への判決を支持して控訴を棄却した。

1983年(昭和58年)
3月29日、札幌地裁は大森勝久に対し死刑を言い渡した。
5月18日、部族戦線の加藤三郎が逮捕された。

1987年(昭和62年)
3月24日、最高裁は東アジア反日武装戦線の大道寺将司、片岡利明に対し上告を棄却した。これで死刑が確定した。戦後の政治犯として、初の死刑判決であった。現在、「三菱重工本社ビル爆破には殺意がなかった」として、第2次再審請求中である。黒川芳正は無期懲役、荒井まり子は懲役8年と1、2審の判決通りであった。荒井は未決勾留通算により、同年11月、出所した。 片岡は養家の姓を継ぎ、「益永」となった。

1988年(昭和63年)
1月21日、札幌高裁は東アジア反日武装戦線の大森勝久に対し札幌地裁での死刑判決を支持して控訴を棄却した。
4月、東京高裁は部族戦線の加藤三郎に対し懲役18年の判決を言い渡した。

1989年(平成元年)
7月14日、最高裁は加藤三郎に対し上告を棄却した。これで懲役18年が確定した。
1990年(平成2年)
2月27日、最高裁は東アジア反日武装戦線の宇賀神寿一に懲役18年の判決を言い渡した。

1994年(平成6年)
7月15日、最高裁は東アジア反日武装戦線の大森勝久に対し1、2審の死刑判決を支持して上告を棄却した。だが、大森は冤罪を訴え続けている。

1995年(平成7年)
3月24日、日系ペルー人を装って、ルーマニアに潜伏していた浴田由紀子が逮捕された。

1998年(平成10年)
2月12日、斉藤和、佐々木規夫らに思想的影響を与えた、『朝鮮人強制連行の記録』で知られる朴慶植が「交通事故」にて逝去。奇しくも、2月21日に金大中が大統領に就任する10日前の出来事であった。

2002年(平成14年)

7月4日、東京地裁は浴田由紀子に対して「爆弾による攻撃という過激な手段を用いて、社会変革を目指した短絡的、独善的な犯行」と述べ、懲役20年(求刑・無期懲役)の判決を言い渡した。判決は「爆弾の威力は強力で、周囲の者を死亡させる可能性を認識していた」と、浴田に未必の殺意があったと認定。一方で、「長い歳月を経て、被告は社会変革のために人に危害を加えるのは誤りだったと自覚している」とし、無期懲役は重過ぎると判断した。また、20年の刑期から、5年半に相当する未決拘置日数(2000日)を差し引くことになった。
7月30日、北海道庁爆破事件で、爆発物等取締罰則違反、殺人罪などで死刑が確定している東アジア反日武装戦線の大森勝久は、札幌地裁に再審を請求した。弁護団によると、爆弾についての北海道警の鑑定結果を否定する新証拠を提出したという。道警は大森の自宅から、爆弾の主原料となる塩素酸系除草剤を検出したとの鑑定結果を提出した。しかし、検出には約10時間の検査が必要で、鑑定結果は虚偽であると指摘している。

2004年(平成16年)
5月24日、浴田に対する1審での懲役20年を支持した2審での判決を不服として被告側が上告した。
8月5日、浴田が上告を取り下げ、懲役20年が確定した。

2006年(平成18年)
11月22日、東京地裁(栃木力裁判長)は大道寺将司と益永利明の第2次再審請求について請求を棄却した。弁護側は三菱重工ビル爆破に使用された爆弾の新たな鑑定に基づき、「爆弾の威力がこれほど強いとは認識していなかった。殺意はなかった」と主張したが、決定は「威力を正確に認識している必要はなく、再審を決定する明白な証拠にあたらない」として退けた(第1次再審請求は1991年、最高裁で特別抗告が棄却された)。即時抗告。

2007年(平成19年)
3月19日、札幌地裁(半田靖史裁判長)は大森勝久の再審請求審で請求を棄却した。半田裁判長は、えん罪を主張した弁護側の新証拠について「確定判決の事実認定に合理的な疑いが生じるとは到底認められない」と判断した。弁護側は即時抗告する方針。
6月5日、東京高裁は大道寺将司、益永利明の第2次再審請求で、「再審を開始する理由はない」として、2人の即時抗告を棄却した。

現在、日本赤軍メンバーの坂東国男、佐々木規夫、松田久、奥平純三、大道寺あや子、仁平映の6人と東アジア反日武装戦線の桐島聡が逃亡中である。


関連書籍 ; 大原デジタルライブラリー 社会・労働関係 和書データベースより

No. 1
標題:新左翼運動獄中書簡集/副標題:
著者:信濃太郎編著/出版者:新泉社/出版月:1994.3/頁数:195p
叢書:/請求記号:308-Sh69/番号:1025187
No. 2
標題:あの狼煙はいま/副標題:
著者:東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃とたたかう支援連絡会議編/出版者:インパクト出版会/出版月:1996.9/頁数:251p
叢書:/請求記号:308-H55/番号:1030207
No. 3
標題:狼煙を見よ/副標題:戦後ニッポンを読む 東アジア反日武装戦線“狼”部隊
著者:松下竜一著/出版者:読売新聞社/出版月:1997.10/頁数:292p
叢書:/請求記号:308-Ma88/番号:1032843
No. 4
標題:テロ 新装版/副標題:東アジア反日武装戦線と赤報隊
著者:鈴木邦男著/出版者:彩流社/出版月:1999.9/頁数:237p
叢書:/請求記号:313-Su96/番号:1035784
No. 5
標題:友へ/副標題:大道寺将司句集
著者:大道寺将司著/出版者:海曜社/出版月:2001.5/頁数:239p
叢書:/請求記号:720-D15/番号:1039630
No. 6
標題:子ねこチビンケと地しばりの花/副標題:未決囚十一年の青春
著者:荒井まり子著/出版者:径書房/出版月:1986.10/頁数:315p
叢書:/請求記号:289-A62/番号:1040150
No. 7
標題:明けの星を見上げて/副標題:大道寺将司獄中書簡集
著者:大道寺将司著/出版者:れんが書房新社/出版月:1984.2/頁数:275p
叢書:/請求記号:308-D15/番号:1040159
No. 8
標題:反日思想を考える/副標題:死刑と天皇制
著者:東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃とたたかう支援連絡会議編/出版者:軌跡社(発売:社会評論社)/出版月:1991.1/頁数:308p
叢書:/請求記号:308-H55/番号:1040160
No. 9
標題:爆弾世代の証言/副標題:東京拘置所・死刑囚監房から
著者:片岡利明著/出版者:三一書房/出版月:1985.5/頁数:173p
叢書:/請求記号:308-Ka83/番号:1040161

参照元LINK ;
東アジア反日武装戦線に関するよもやま情報のホームページ (*注 ; 2008年8月4日確認時点ではリンク消失)
日本赤軍と東アジア反日武装戦線
東アジア反日武装戦線関連項目(Wikipedia)
東アジア反日武装戦線 関連ビデオ(YouTube Playlist)
でもわたしには戦が待っている―斎藤和(東アジア反日武装戦線大地の牙)の軌跡 (単行本)
A-MUSIK HomePage
A-MUSIK反日ラップ」について
リアル<燃え尽きた日章旗の彼方に>
1989.02.02@下北沢 屋根裏/リアル・ワンマンライブ
映画腹腹時計」 と 渡辺文樹 について
コンサート「反日アンデパンダン」について(83年秋、和光大学)
東アジア反日武装戦線“さそり”宇賀神寿一(ナックルズMOBILE NONFIXアーカイブ)


関連記事 ; 腹腹時計

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2007年7月30日 (月)

ベ平連 小田実(1932年6月2日-2007年7月30日)

ベ平連 小田実 ( 1932年6月2日 -2007年7月30日 )



小田実(おだ まこと、1932年6月2日 -2007年7月30日 )は日本の作家、平和活動家。ベ平連(Beheiren)創設者。
1932年大阪市生まれ。45年の敗戦前日の8月14日に大阪大空襲を体験、そこで目の当たりにして後に「難死」と呼んだ「無意味な死」への怒りが言論活動や市民運動の源泉となった。
東大卒業後にフルブライト留学生として渡米。南米や欧州、アジアなどを回った旅行記「何でも見てやろう」(1961年)はベストセラーとなった。
2002年、米国の雑誌タイムズ(アジア版)で、「アジアの英雄」に選ばれた。
2007年5月自身が胃ガンである事を公表した。同年7月30日午前2時5分、胃がんのため東京都内の病院で死去。享年75歳。自宅は兵庫県西宮市大浜町1の41の801。
奇しくも、安倍内閣成立後の初の大きな国政選挙となる第21回参院選で、自民党が1955年結党後に、初めて(自民党にとっての)野党が第一党になるという惨敗の結果を生んだこの日、ベ平連で共に活動した作家、小中陽太郎は、小田の思い出をこう振り返った。
「45年にわたる付き合い。人生の師であると同時に同志。小田さんの意義はただの市民がベトナム戦争を境に大きな運動を作ったこと。政治家になるのではなく、あくまで市民としての立場から発言するのが小田さんの基本だった。大きく日本の政治が変わるかもしれないこの時、激動の時期の夜に亡くなるというのは小田さんらしい波乱の人生だった」


小田実の葬儀は8月4日午後、東京都港区の青山葬儀所であり、作家の大江健三郎や井上ひさし、評論家の加藤周一、元衆院議長の土井たか子ら約800人が別れをつげた。
葬儀のあと、地下鉄の青山一丁目駅近くまで、有志が追悼のデモをした。
葬儀で、鶴見は「黒船到着以来の日本の150年の中で、ジョン万次郎と肩を並べる大きな人」、加藤は「彼の呼びかけは格別の説得力をもっていた。今も私たちに呼びかけているし、その呼びかけに応えるところに、我々の希望は開けている」と述べた。このほか日本文学者のドナルド・キーンらが、文学でも市民活動でも国際的なスケールだった小田をしのんだ。

小田実葬儀での吉川勇一による弔辞(全文)
吉川勇一「小田実の遺志」◎難死の原点を真剣に生きる(全文)
鶴見俊輔「共同の旅はつづく」 (『朝日新聞』2007年7月31日)
吉岡忍「小田実 さんについての文 3編」(全文)

訃報を伝えるニュース動画(1)(クリックして再生)
訃報を伝えるニュース動画(2)(クリックして再生)

ベ平連時代から晩年のニュース動画(クリックして再生)

ベ平連


beheiren ベ平連 - The Intrepid Four - 1967


森達也放送禁止歌』ドキュメンタリー
「かつてフォークソングが時代の花形だった1960〜1970年代には体制を批判したり 、揶揄したりする数々のプロテストソングが生まれ、"放送禁止歌"の烙印を押され、い つの間にか闇へと消えていった。そう、あの数々の歌は一体どこにいってしまったのだろうか?」
フジテ レビ NONFIX 1999/5/22放送





Price for Love & Peace: Walk out of the War
documentary film of Beheiren made by independent filmmaker ; Masayo Sodeyama


小田は60年安保の時期から、平和運動を開始する。1965年2月7日に開始されたアメリカ軍による北ベトナムへのいわゆる「北爆」など、アメリカ軍のベトナム戦争に対する本格軍事介入を受けて、哲学者の鶴見俊輔、作家の開高健、政治学者の高畠通敏らと、1965年4月24日に「ベトナムに平和を!市民文化団体連合」を結成。同年、吉川勇一が事務局長になる。その後1966年10月16日に名称を「ベトナムに平和を!市民連合」に変更し、全国に活動が広がって行った。1974年1月に、パリ協定調印後のアメリカ軍のベトナムからの全面撤退を受け解散した。
1967年4月には画家岡本太郎・筆の日本語で「殺すな」と大書した反戦広告を米ワシントン・ポスト紙に掲載する。
また、1971年12月にはジェーン・フォンダらの米FTAショー・グループ来日と連帯。12月13日に FTAショーは、沖縄のコザ琉米親善センターで、超満員2千名の米兵を前に公演した。

沖縄でのFTAショー(ドキュメンタリー映画"Sir! No Sir!"からの引用)

ドキュメンタリー映画"FTA"(全編 ; GoogleVideoより)
Fuck The Army is an inspiring 1972 film that follows the Fuck The Army tour throughout Asia during the Vietnam War, rallying thousands and thousands of GIs against US imperialism.


参考 ; 沖縄コザ暴動 - 1970


    小田実によるベ平連の格言 ;
    1.何でもいいから好きなことをやれ!
    2.他人のすることにとやかく文句を言うな!
    3.行動を提案するなら、まず自分が先にやれ!
    (出典 ; 小田実「私は死がこわい」p.255)


いわゆる新左翼党派からは、ベ平連にたいし「小ブルジョア市民主義者」「ソ連邦の極東戦略の共犯」との批判もあった。当時、革マル派はベトナム戦争について「スターリニストに軍服を着た労働者である米兵を殺させる(ゆえにベトナム戦争反対)」という立場であり、中核派は「北部ベトナムホー・チ・ミン政府=南ベトナム民族解放戦線不支持・ベトナム人民連帯」(その立場から1975年のベトナムの最終的勝利を「サイゴン失陥」=米帝は誤ってサイゴンを陥落させた=『解放勢力』の勝利そのものは支持しない、の意)と表現したように、「反スターリン主義派」はアメリカ(帝国主義)と戦う勢力ならば無条件で支持する、というような立場からはほど遠かった。しかし、全共闘運動新左翼思想/世界観に胚胎するこうした極端な前衛/独善主義は対立党派間での内ゲバの先鋭化を促し、70年代には「反革命」の肉体的殲滅を志向する殺し合いの常態化した「戦争」状態に陥った。

ベ平連は中心的な指導部が全体を統制するのではない、ある種のネットワーク型の組織や、自由意思による参加が原則で、政治的信条や思想を問わない、「来る者拒まず、去る者追わず」という異なるものを排除しない論理、その「いいかげん」とも評された程の自由な雰囲気により、それまで既成組織(社共の革新政党や労働組合)が中心になって行った教条的で閉鎖的な市民運動の枠を大きく超えた反戦平和運動であった。小田はその支柱となった。ベ平連にはマルクス主義者も少なくなかったが、小田はマルクス主義を始め特定の思想を決して信奉しなかった。ベ平連に全共闘運動出身の若者が流入し、「内ゲバをも辞さない討論と対決のなかからのみ、強固な連帯が生れる」と主張したとき、小田は彼らを「人間」や「連帯」に絶望したことのない「ひとりよがりの甘ちゃん」とみなした。ベ平連を新左翼系の若者が批判しても、「まあ、どうでもいいんだよ」とうけ流していた。小田はよく、「人間みなチョボチョボや」と述べた。万人が常に偉大であることはありえないが、「どんな人間でも、あるときには、偉大であり得る、正しくあり得る、誠実であり得る、美しくあり得る」というのが持論だった。懐疑主義者でありながら作家であり社会運動家だった、彼らしい信念だった。小田はおそらく、自分が欠点皆無の偉大な英雄だったと描かれることは好まないだろう。しかし彼は、「あるとき」には偉大であり、誠実であり、美しかった。彼自身の望みであるかはわからないが、歴史に名を残す人物だったことはまちがいない。

反戦脱走米兵援助
ベ平連はアメリカ軍の良心的脱走兵の支援も行い、これらの活動はベ平連とは別にJATEC(Japan Technical Committee to Aid Anti War GIs―反戦脱走米兵援助日本技術委員会)として運営され、ソビエト連邦などの支援を受け、ソ連極東部のウラジオストックへの定期便やレポ船などを使い、少数の脱走兵をスウェーデンなどの軍事中立国に脱出させる事に成功した。
尚、スウェーデンに渡った元反戦米脱走兵のテリー・ホイットモアが、7月11日、アメリカ、メンフィス(彼の故郷)の復員軍人医療センター(Veterans Medical Center)で死去し、7月21日、ジオン寺院(Zion TempleCOGIC)で葬儀が行なわれていた。墓地は New Park Cemetry on Horn Lake Rd.。
小田の死に先立つ突然の訃報であった。

参照元Link ;
小田実のホームページ
旧「ベ平連」運動の情報ページ
吉川勇一の個人ホームページ
ベ平連DATABASE ; 作成:山本崇記(立命館大学先端総合学術研究科)
小田実の著作(Amazon)
岡本太郎と「殺すな」 ; 岡本敏子(岡本太郎記念館館長)へのインタビュー
ベ平連の京都での街頭行動(「古川豪の写真館」 より)
鶴見良行 文庫
ベトナム戦争脱走兵のホイットモアさんに会った(鈴木邦男 ; 今週の主張・2004年6月7日)
訃報(朝日新聞) ; 作家の小田実さんが死去 国際的な反戦運動に尽力
訃報(毎日新聞) ; <小田実さん死去>市民の視線貫く 国動かした行動力
訃報(産経 ZAKZAK) ; 小田実激動の夜に死す…ベ平連、「何でも見てやろう」
訃報(Livedoor PJニュース) ; 【追悼】小田実さん死去。生前、パブリック・ジャーナリズムの方向性語る

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2007年7月 8日 (日)

Tokyo in 1967 - the combustion point

Tokyo in 1967 - the combustion point

Japanese Student Movement in the Sixties ;
from Zengakuren to Zenkyoto ( The Student Left in Japan )





from the Rolling Stone mag article ; " Tokyo in 1967 "

The image of students in Tokyo getting high on imported birdseed doesn't jump to the fore.
"The simplest way for people to get marijuana was in pet stores," recalls Koji Takazawa ( 高沢皓司 ), a leader of Zenkyoto, an alliance of Japanese student movements in the 60s. "There were hemp seeds in the birdseed, so people bought the birdseed and grew their own marijuana."

Japanese Psychedelic Hippie ( フーテン族 ) in Shinjuku 1967



In the West, little is known about Japanese youth movements of the 1960s, but the Zenkyoto, Zengakuren, and other movements were hugely popular in Japan, protesting Japanese involvement in the Vietnam War, spurring interest in Western music and art, and calling a generation to action, as parallel movement did around the world.The student movement began to mobilize in 1960, when the Japan-US Joint Security Treaty was signed and thousands of University students took to the streets in protest.

Protest against the Japan-US Security Treaty in 1960



In the following years, protests grew louder and angrier, as the military campaigns escalated. "1967 was the year the student campaign really escalated," says Takazawa. "A student was killed in a conflict with riot police and as a result, there was a huge outcry and a big wave of protest." From 1967 to 1970, students at 167 Japanese universities went on strike as part of the Zenkyoto movement.



Protest against PM Eisaku Sato at Haneda Airport in 1967






Zenkyoto Movement in 1968



Zenkyoto Movement in 1969







Yukio Mishima and Zenkyoto @ University of Tokyo in 1969



"Some years later, nearly all the popular musicians in Japan had come out of that cultural stream," says Takazawa, who says members of the 60s youth movements used the Japanese cartooning tradition, Manga, in their posters and art, transforming it into the cultural force it has become.

Les Rallizes Denudes ( 裸のラリーズ )
In 1970, Les Rallizes Denudes member Wakabayashi was involved to some degree in the hijacking of a Boeing 727 orchestrated by the Japanese Red Army. Singer Takashi Mizutani was allegedly offered a role in the hijacking but turned it down.

Red Army Fraction hijacking of a Boeing 727 named "Yodo" on 31th Mar.1970



Les Rallizes Denudes - " The Night of Assassin "


Shinji Nagashima ( 永島慎二 ) - notable manga artist during zenkyoto era

  some more videos of Japanese Student Movement on YouTube
(click the logo to load the playlist)

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2007年6月11日 (月)

Soul Weekenders

Soul Weekenders

Amidst the dreariness of north England, white working class youth reinvented their lives at Northern Soul all-nighters, dancing to forgotten black American soul singles from the 1960s. Down South, as Mods metamorphosed into skinheads, this cult focused more on Caribbean sounds - ska, rocksteady and reggae. They jerked to these itchy Jamaican rhythms in youth clubs from Catford to Croydon, Dagenham to Deptford.


IN THE CLUB (Wigan Casino)



Shane Meadows' This Is England - news item about the 18 cert


Enoch Powell in popular culture:
John Enoch Powell, MBE (June 16, 1912 – February 8, 1998) was a British politician, linguist, writer, academic and poet.

The Rivers of Blood speech was a controversial speech about immigration made on April 20, 1968 by the British politician Enoch Powell. Powell warned his audience of what he believed would be the consequences of continued immigration to Britain from Commonwealth countries. His speech included the following words, referring to the Race Relations Bill then coming before parliament:

"Here is the means of showing that the immigrant communities can organise to consolidate their members, to agitate and campaign against their fellow citizens, and to overawe and dominate the rest with the legal weapons which the ignorant and the ill-informed have provided. As I look ahead, I am filled with foreboding. Like the Roman, I seem to see 'the River Tiber foaming with much blood.'" 

in 1970 ska and reggae singer Millie sang "Enoch Power" against Powell. The song began with the German national anthem.


MILLIE SMALL - ENOCH POWER - WEMBLEY 1970


appendix:
former manager of the Undertones (of "Teenage Kicks" fame), Terry Hooley has been a big supporter of reggae since the 60s, and has brought it to Northern Ireland. here's a strictly dubwise session(aired via BBC 1 Xtra on 26th Feb.2006).
click here to listen / right click to "save as"

traclisting:
ARTIST | TRACK
Dennis Brown | Money in my Pocket
John Holt | Stick By Me
Ken Boothe | Everything I Owe
Jimmy Cliff | The Harder they come

Junior Murvin | Police & Thieves
Althia & Donna | Uptown Top Rankin
Janet Kay | Silly Games
Delroy Wilson | No No No You Don't Love Me

Junior Barrs | Fade Away
Roman Stewart | Natty Sing Hit Songs

Dennis Brown | Here I Come
The Mighty Diamonds | Country Living
Mike Anthony | Walk Away from Love

Vivian Jones | Extra Classic, Super Fantastic
Calvin | 2am
Beres Hammond | Queen and a Lady
Beres Hammond | Tempted to Touch

Sanchez | Praise Him
Sanchez | Can I hold you tonight
Sanchez | Rearrange My Life
Garnet Silk | Mama Africa
Garnet Silk | Oh Me Oh My

Morgan Heritage | Down by the River
Barrington Levy | Here I Come
Barrington Levy | Too Experienced

Tinga & Ninjaman | Cover Me
Yellowman | Zunguzung
Pinchers | Banderlero
Wayne Smith | Under Me Sleng Teng
Nitty Gritty | Sweet Reggae Music

Supercat | Vineyard Style
Brigader Jerry | Pain
Shabba Ranks | Respect


関連記事 ; THIS IS SKA!

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2007年5月19日 (土)

Ian Curtis : from him to eternity (or Cannes)

Ian Curtis : from him to eternity (or Cannes)



CONTROL - IAN CURTIS -


Control, Ian Curtis, BBC Newsnight Review


from BBC article
A British film about the life and death of Joy Division singer Ian Curtis, starring a first-time actor, has earned a rapturous reception in Cannes.

from Guardian article
Control, Anton Corbijn's movie about Joy Division, is the buzziest film of the festival so far, at least among the British contingent.

from Telegraph article
Critics have described his portrayal of troubled singer Ian Curtis, who committed suicide on the eve of the band's first American tour, as "spectacular" and "outstanding".
Yesterday it received a standing ovation at its premiere on the Croisette. Even surviving members of the group were impressed.
Peter Hook, the bass player with Joy Division and New Order which evolved from it, said: "He really caught the essence of Ian's character. It was like hearing Ian. It sent shivers down my spine."
Their biggest hit was Love Will Tear Us Apart. His illness and tangled love life as well as the increasing responsibilities of the band led to him being unable to cope with the world. He hanged himself in his home exactly 27 years ago today(17th May 1980), aged 23.

from Billboard article
Shot in stark black-and-white and set in gritty, unglamorous 1970s England, it re-creates the life of a singer who died unhappy and almost unknown but has secured a place in rock mythology.

The part came out of the blue for Riley, 27, who abandoned an acting career to take an unsuccessful shot at fame with his band 10,000 Things. When Riley heard about auditions for the film, "I was working in a warehouse in Leeds, folding shirts."

Netherlands-born Corbijn, who turns 52 on Sunday, photographed Joy Division for British music magazines and went on to design album covers for Depeche Mode and U2. When he moved to Britain in 1979, Corbijn said he was shocked by the country's austerity and poverty. "A lot of bands I met, including Joy Division, were kind of underdressed -- a thin coat on, smoking and shivering in the cold," he said. "When I met Sam, it was also in the winter and he was totally the same."

Pale and big-eyed, Riley resembles Curtis -- but more importantly, said Corbijn, he "had an innocence and a freshness that I was hoping for but never thought I would find."

"My whole memory of that period is black and white," Corbijn said. "There is basically no color photography of that band around. So it felt very proper to the project."

Interview with Anton Corjbin about the movie CONTROL

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2007年4月29日 (日)

CBGB Remembrance - 1973-2006

CBGB Remembrance - 1973-2006

"...my favourite memory was the first time i saw Television play,
and i saw Tom Verlaine who i thought was,ahhh...,
just about the most beautiful fella i'd ever seen and,ahhh...,
it was a sunday as well,it was easter sunday 1974,
and i ahhh..., i saw Tom Verlaine,and we've been friends ever since."

- Patti Smith comments on Tom Verlaine



Patti Smith is featured in upcomin' documentary film called
"Black White + Gray" which refers to the symbiotic relationship
Sam Wagstaff(influential art curator and collector) shared with
photographer Robert Mapplethorpe in New York
during the heady years of the 1970s and 1980s.

in this film,Patti reciting a short poem of hers
in an interview on the BBC in 1971;
“New York is the thing that seduced me.
  New York is the thing that formed me.
  New York is the thing that deformed me.
  New York is the thing that perverted me.
  New York is the thing that converted me.
  And New York is the thing that I love too.”

read more on NYT article

Black White + Gray: A Portrait Of Sam Wagstaff And Robert Mapplethorpe


Black White + Gray review by Vince Aletti on The NEW YORKER mag.


Patti Smith at Bowery Ballroom, 4/24/07

some related Links for CBGB;

CBGB(official)
CBGB(Wikipedia)
CBGB(YouTube)
Patti Smith - CBGB The Last Show
Patti Smith(MySpace)
Patti Smith(YouTube)
Television(MySpace)
Richard Hell(official)
Ramones(official)
Blondie(official)
Talking Heads(official)
John Cale(official)
Lenny Kaye(MySpace)


関連記事 ; Patti Smith - "NY is the thing..."

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2007年4月23日 (月)

Love Saves the Day - The Birth of Disco

Love Saves the Day - The Birth of Disco

once upon a time in NYC,...

"...first time i saw a dj who was not just playing records,
but creating atmosphere.
and that was a big defference.
and i realized that's what i wanted to do,
not play records,create atmosphere."

- Nicky Siano comments on The Loft & David Mancuso


"...i was a white boy,from brooklyn italian boy,
and i partied amongst asians,amongst latins,amongst blacks,
and i met people from all over the world,
and it was a cultural experience,you know.
to me,the Loft was a first place i've ever gone to
where music was continuous"

- David Depino comments on The Loft & David Mancuso

further informative books & Links 'bout Disco-Era:

Tim Lawrence,the author of "Love Saves the Day"
Love Saves the Day: A History of American Dance Music Culture, 1970-1979
djhistory.com
Last Night a DJ Saved My Life: The History of the Disc Jockey
suenomartino.net
and of course,the mighty Jahsonic (so great!)

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2007年4月18日 (水)

福居良 - SCENERY

福居良 - SCENERY



Early Summer (click here to listen)




YWSYLS...

¥¥¥¥¥¥...

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2007年3月27日 (火)

秋田明大

秋田明大

秋田 明大(あきた あけひろ、(あきた めいだい)、 1947年1月2日- )は、新左翼活動家。日大闘争時の日大全共闘議長(総帥の地位)。広島県安芸郡倉橋町出身。

秋田明大「あほう鳥」
★シングル・レコード/7インチ盤
★1976年発売。元・日大全共闘議長。両面:加藤登紀子作曲。


1968年の日大闘争で全学共闘会議議長となる。アジを得意とはしなかったが、茫洋とした包容力で、全国一の動員を誇った日大全共闘を指揮した。「大衆」、「自己主張」、「自己否定」、「自然発生」、「大学解体」などの言葉を好んで使った。1968年9月、両国講堂で3万人の学生と共に古田重二良日大理事長・会頭を糾弾後、潜伏。しかし大学側が導入した機動隊の前に次々と拠点を失い、翌1969年3月12日逮捕された。

全共闘 日大闘争 東大闘争 - 1968
いろんな事件や、闘争について、
何でもしゃべる人がいるけど、
人間、しゃべれることはたった一つだ。
自分にとって、切実な、必死なこと。
つまり身をもって闘っていることを、
やっと語れるだけだ

『若き実力者たち』沢木耕太郎著 より

related Links
全共闘世代と日本経済(InternetArchive)
東大闘争と日大闘争
日大斗争ドキュメント
日大全共斗博物館
JAPON Les Annees Rouges (日本 赤の時代)
「電脳ブント」より

上記「電脳ブント」link切れにつき、以下に再録;

広島県倉橋島出身。60年代末の全共闘運動で活躍したに活動家。日大全学共闘会議議長、全国全共闘連合副議長。現在自動車修理工場自営。 68年、二つの脱税事件が国税庁によって摘発された。日大当局=会頭古田重二良(01-70)の使途不明金22億円の脱税事件、理工学部教授による裏口入学金3千万円の脱税事件である。さらに、この不詳事は、教職員を分断するための私設警備員へのヤミ給与問題、経理課長失踪事件、ベテラン経理課員自殺事件へと連動し、マンモス私学経営が胚胎する底なしの腐敗の実体を浮き彫りにした。  

日大闘争は、これら一連の不正事件を直接契機にして始まった。 最初の闘争は、経済学部学生会が採択した抗議文が、学内掲示板から一方的に撤去されたことに対する抗議集会であり、さらに、集会直後に決行された同じ経済学部学生2000名による街頭デモとして、学内外から注目を集めた。この日大生の街頭デモは、神田白山通りの校舎前から自然発生的に始まったものであり、日大学生運動史上において、学外において敢行された初めての街頭デモであった。しかも、その短い進行距離から「200メートルデモ」と称されたが、この小さな200メートルデモは、やがて「数万の大軍」に成長し、日大学生運動史上初めての歴史的快挙として後世にまで語りつがれるようになった。  

秋田は日大経済学部在学中の一学生に過ぎなかったが、いつの間にかこの「伝説のデモ」の先頭に立っていた。闘争はたちまち全学部(11学部=14校舎)に波及した。全学総決起集会の開催、各学部全学共闘会議の結成を経て、68年、7000名が参加した日大全学共闘会議(全共闘)結成へと急展開し、議長に秋田明大を選出した。全国的な全共闘運動の昂揚のなかで、「古田体制打倒!」の掛け声は、全国学生運動の「熱い共感」を呼び、「東大=日大闘争」といわれて68年全共闘運動の双璧をなした。 「それは日大の根底的な変革闘争である。それ故に“日大革命”であり、古田体制に対する10万学生の総反逆を引き起こした“大衆闘争”であり、同時に日本最右翼大学における反逆だからこそ、必然的に戦闘性をもつのである」(日大文理闘争委編「反逆のバリケード」69年) 「あらゆる人間的な要求や希望を踏みにじられた地点から…また、過去の如何なる経験や運動とも無縁な『未開の聖域』からの闘いであった」(『大学占拠の思想』秋田編、69年)。  

日大闘争には三つの特徴点がある。  

第1の特徴は、60年代高度成長時代のマンモス私立大学が共通して内包した矛盾の露呈であったこと。高度成長時代には、大卒人数が中卒人数を上回り、大学生は100万名を突破するという世界に例を見ないような学歴構造へと激変する中で、日大の学生数は11学部11万名にふくれあがった。このような「超マスプロ私学経営」「マスプロ授業」による異常事態こそは、中堅技術労働力再生産過程に深く組込まれた当時のマンモス私立大学が直面した歪みあり、闘争の爆発はその歪みの顕在化であった。  

第2の特徴は、「体育系右翼学生教職員による日大アウシュビッツ体制」といわれた直接的暴力による学内強権支配に対して、全学的に鬱屈した憤激が沸点に達したことである。  

第3の特徴は、学問の自由、学園の自治、人間解放を掲げた典型的な「学園民主化闘争」であり、「理事総退陣、経理公開、集会の自由、不当処分撤回」の5大スローガンと、9項目の要求をスローガンに掲げて、戦闘的に展開された。  

日大全共闘は、結成直後「全学無期限バリ・スト」(バリケード・ストライキ)に突入した。これに対して大学側は職員・体育会系・私設ガードマン・右翼テロ、さらには警察機動隊を導入して校舎ロックアウト、殴り込みによる攻撃を加えてきた。学生は数百名の逮捕・負傷者を出しながらもバリケードを挟んで、奪還、破壊、再奪還の攻防戦を闘い抜いた。個別学園闘争としては学生運動史上最大規模の激闘が連日連夜、約4ヶ月間繰り返された。その結果、それまで長いあいだ団交申し入れをはぐらかし続けてきた大学当局も、遂に、暴力的圧殺という強硬路線を断念して話合いに応諾した。双方は「日大両国講堂全学集会開催」に合意し、68年9月、そのまま10時間におよぶ大衆団交(学生3万5千名が参加)を実現した。あの「伝説のデモ」以来113日目であった。  

闘争は学生側の全面勝利に終わった、かに見えた。ところが、翌日の閣僚懇談会において会頭古田重二良の盟友・首相佐藤栄作が「大衆団交は集団暴力である」と発言した。これを境にして攻防局面は急変した。機動隊はバリケード封鎖解除を強行し、秋田を含めた全共闘指導部8名に逮捕状を出して、闘争の圧殺に乗り出した。その結果、大衆団交から半年後の翌年4月には授業が再開され、キャンパスは「テルミドールの反動時代」へと逆戻りした。  

秋田は潜伏半年後に民家の雪かき中に、公務執行妨害などの容疑で逮捕・拘留された。その間に、日本学生運動史上最大の組織規模を誇る全国全共闘連合が結成された。秋田は獄中不在のまま副議長に選ばれ、全共闘運動を象徴する活動家として、学生運動史に「アキタメイダイ」の名を轟かせた。 当時の秋田は、彫りの深い顔立ちと長髪、大柄で野性的風貌を併せ持ち、若者にとっては世代の寵児でもあった。秋田達が同世代に向けて発した闘いへのメッセージに対して、同世代の二人の作家が評している。 村上龍:「佐世保で闘っていた頃の僕にとって、日大闘争を闘ったあなたは疑いもなく英雄でした」  沢木耕太郎:「僕と同じ純粋戦後派の書いた最も美しい文章…。君の第二の人生も、君自身が開こうとするなら、必ず君を待っている」 当時、学生運動活動家としての秋田は、どの政治党派にも所属しないノンセクトであった。当然のことながら、新左翼諸党派にとって秋田は入党オルグ(勧誘)の有力なターゲットであった。そればかりか、会頭古田グループからもねんごろな獄中の差し入れを受けるなど、複雑な政治的諸関係の中に位置していた。とりわけ、日大に拠点をもっていたML同盟派と中核派との微妙な党派関係の中で、秋田は、ML同盟に所属していた日大全共闘書記長田村正敏(47-98)との緊密な関係を維持していた。だが、党派的には、政治的旗幟を鮮明にしないで、あくまで無党派に自己限定しても、実践的にはなんの支障もきたさなかった。結局は、自己の存在を、全的に委ねることが可能な政治的預託先を見出せないまま、ノンセクト・ラディカル(無党派活動家)に止まった。  

秋田が選択したこの政治的決断は、全共闘運動終息以後の秋田の姿を予兆させるに十分でもあった。というのは、後にみるように、この無党派への決断は政治路線や未来への活動の展望を含めて、そのなかにおける、秋田自身の政治的役割や社会的活動への自信、確信の有無等を自分なりに考慮したうえで下した決断でもあった。そのときの決断をふくめて、結果的には、過去との政治的、社会的訣別へと連動していくことになった、と思われるからである。 69年 5月、日大闘争一周年4000名理工学部デモ、校舎内突入。     

9月、全国全共闘連合結成大会。 70年 全共闘運動は下降局面に入った。 71年 三里塚闘争、渋谷・日比谷暴動事件、爆弾闘争開始。 72年 連合赤軍浅間山荘銃撃戦事件、その直後発覚した粛清事件。 日大闘争の終局は、同時に、秋田にとっては彷徨・遍歴の時代の始まりであった。街頭で自作の詩集『幻視行』(70年)の販売を試みたが、二作目が続かなかった。テレビ局の大道具係り、中国物産展の露天商、バスの車掌、飯場生活等、さまざまな仕事を経験した。1日1食という日もあった。伝聞ではあったが、辞書を煎じて飢えを凌ごうとしたが、「その代償は下痢だった」という話も、他人事には思えなかった。 「まだ闘いの余韻もあり、生きることへの熱気が残っていた。もし、ボクが女性の全共闘活動家であったならば、多分、娼婦になっていた」  

この述懐は、理屈抜きにある確かな実感であった。さまざま手がけた仕事の中で、最高に居心地が良かったのは、仲間同士で気軽に盃を酌み交わせる飯場生活であった。そこには見栄、虚飾、追従、差別、作法等はなかった。世間の煩わしさから隔絶されたその世界は、決して己を飾ろうとしない秋田の性分には、この上なく相応しかった。

75年 映画「ピーターソンの島」(東由多加監督)に主演。 76年 レコード「あほう鳥」を吹き込む。 このような志向遍歴の中で「明日への模索」を続けようとしたが、いつの間にか、その試行錯誤にもピリオッドを打つときがきた、と思うになった。遍歴7年目にたどりついた結末が、ある一つの結論であった。 「東京にいても、ポン大(日大)卒の俺にできることは何もない…」 そう思った次の瞬間、「肩の荷が下りたように、全身の力がスーッと抜けていった。」時間にすれば、わずか2分間~3分間に過ぎなかっただろうか。だが、たとえ瞬間的な心理的作用であっても、全身を駆けめぐったあのときの衝撃的な爽快感は、いつまでも記憶の中に鮮明に残っている。 76年、秋田の決断と実行は早かった。 「では一体、どこに行くか→行く所はどこにもない→生まれた田舎に帰るしかない」 秋田は、常につきまとう「日大全共闘議長」という偶像への視線を絶つかのように、ずっしりと重くて大きい荷物を背負って、故郷の島に帰っていった。 田舎への回帰行は、ちょうどサケが生まれ故郷の川を溯るも同然であったが、その道行きは、一人の同伴者もいない夜汽車による西下の旅であった。ところが、秋田が背負ったはずの重そうな荷物の中身は、外観とはいささか肌合いを異にしていた。おおよそ、「過去の栄光」「実体のない名声」という観念の世界とは無縁であり、「偶像」という虚ろな実体ともかけ離れていた。  

秋田は、車窓に映る夜景をぼんやり眺めていた。その窓辺の夜景に自分自身の表情を重ね合わせたとき、意外にも、そこには如何なる意味においても「感傷」という高ぶった感情は、こみ上げてこなかった。そこにはいつもとは違った相貌をみせる、クールでドライな自分がいるように思えた。あの激闘の10数ヶ月から始まった運命的な青春や、いま、眼前を去来する首都圏での数年間の日々の生活を振り返りながら、その青春に最後的訣別を告げようとしているにもかかわらず、わずかな感慨を覚えたに過ぎなかった。おそらくやせ細った体躯から感性や思考が奪い去られていたのだろう。実際、自分を取り戻すには1年ちかい月日の経過が必要であった。  

とはいえ、西下の夜汽車の乗り心地は、別な意味でサバサバしていた。その理由と根拠は明白である。秋田自身は「日大全共闘議長」「全国全共闘連合副議長」という過去の肩書きに対して、「初めからどんな意味付与もしていなかった!」。10ヶ月の未決勾留を終えて東京拘置所から出てきたときも、日大闘争の巨大な歴史的意味にさえ「気が付かなかった」。そのために、栄光を背負っているという想念を抱いたことは「一度もなかった!」。しかも、封印しなければいけないような、観念としての過去は「ひとカケラも存在しなかった」のである。  

西下の車中でズームアップされた追憶は、ひたすら闘争に明け暮れる毎日、パンと牛乳だけの清貧な食生活、頬骨が骸骨のようにこけ落ちた彫りの深い顔立ちや、長髪で野武士のような風貌を映しだす鏡のなかの自分、右翼に命を狙われているというリアルな恐怖感をつねに抱きながら、「わき目も振らずひたすら愚直に闘った」という幻影だけが脳裏に焼き付いているに過ぎなかった。しかも、このように脳裏に去来する追憶の中の光景さえも、いまでは彼方に轟く遠雷にも等しかった。  

「俺は、何故騒がれてきたのだろうか…。でも、これで騒ぎは一段落してくれるだろう…。俺は、やがて誰からも見捨てられるだろう…」 そう思った途端に、規則正しく軋む夜汽車のレールの音が、疲れた脳に心地よい刺激を与えてくれた。深い眠りに落ちるにも、長い時間を必要としなかった。27歳であった。 帰郷して間もなく、広島県呉市内で親戚が経営する自動車工場で働くことになった。やがて、10年間で技術を身につけて独立し、単独で倉橋島音戸町の自動車整備工場を自営、そのまま今日に至っている。その間、ひたすら真面目一筋に働いた。親に無心したこともあるが、細々ながら糊口をしのいできた、というのが生活実感である。離婚や再婚も経験したが、一男二女の家庭は、いまではどこまでも静穏な時空にあった。  

秋田は、東大全共闘代表の山本と常に並び称され、両者は多くを語らない点でも共通している。秋田自身は過去と断絶し、帰島後もそのまま沈黙を守り続けてきた。70年安保・沖縄・全共闘運動の歴史の節目に、わずかに地方紙のインタビュー記事が、秋田の消息を伝えてきたに過ぎなかった。 ところが、一見穏やかそうにみえたが、隠棲したはずの田舎暮らしにもすきま風は吹き抜けた。最初に見舞われたのは帰島直後だった。まだ、旅装も解かないその年のうちに、予告なしに先輩の訪問を受けて、遮二無二、東京に2泊の出張旅行と相成った。その直後に「秋田明大、参議院選出馬か」のニュースが流れた。  

推薦政党は、社会党右派系(江田五月)の社会市民連合。言うまでもないが、このニュースの発信源をたぐり寄せていくと、その先には、抜群のセンスと行動力によって学生運動史上にその名を刻んだ日大全共闘議長秋田明大という「過去の栄光」があった。思うに、あの西下の車中で結んだ夢は、うたかた過ぎなかったのか、初めから心地よい寝覚めを妨げる悪夢であった、ということになりかねなかった。当時の秋田を知る同世代の若者達も、突発した事態の解釈にとまどったことは確かである。でも、結局出馬は取りやめた。 「こんなところ(政界)には、俺の居場所はない」  そう直感した秋田にとって、この椿事は、示唆的出来事であったといえるかも知れない。というのは、あの時の秋田は、早々と政治的社会的舞台から身を引いて、市井に生きる第二の人生へ向けて再出発を目指していた。この選択的決断は、秋田にとっては「正解」であったといえよう。外野席からは、つむじ風の中に光り輝いたあの青春の光芒は、まばゆいほどに記憶の中の残照であり続けた。そのような余塵漂うただ中で、秋田本人は冷徹で鮮やかな決断をきっぱりと下したのである。この鮮やかな決断こそが、アイドルタレントへの悲劇から秋田自身を救ったのである。  

いずれにせよ、このような予期せぬ出来事は例外に近かったが、その後も、さまざまな人達が直接、間接を問わず秋田の元を訪れ、忘れたころにやってきた。その内で統計的に最も多い来訪者はマスコミであった。多いときには1ヶ月に2名くらいで、質問事項も例外なくワンパターンで、いまだに恒例になっている。ごくまれには、知友人に会うこともある。もたらされる情報は、感慨深いものであった。 「全共闘種族は、皆それぞれが自分なりに波瀾万丈の人生を送ったんだな」 秋田は、かっての盟友田村がガン死したという知らせを、親友から受け取った。その際に、田村が北海道で選挙の勝手連をやっていたという話も、訃報と併せ知ったとき、秋田は懐かしさがこみ上げた。 「もしも、田村が生前に、“来てくれ”と言えば、出掛けたのに…」 秋田がかっての盟友田村に寄せたこのような優しい思いは、たんなる過去の友誼を意味しているだけではない。青春時代に抱いたあの高い志の片鱗と記憶が、たとえ、現在的には時間の経過さえも感じさせないような静穏な市井に身を置いていたとしても、脳裏のどこかにそっと影を忍ばせているのかも知れない。この影の大きさは、全共闘運動という自己存在への根底的な問いかけを迫った闘争の質量に比例しているのかも知れない。  

来訪者がすべて善意の人とは限らない。顔のない客もいる。それは明らかに「ストーカー行為にも等しい」のだ。そのような客の意図を測りかねる時は、不快感も極に達する。  「お願い! 詮索無用」 こんな貼り紙を、マジで玄関に貼り出したい衝動にも駆られるが、「変人扱い」されたくないし、そんな「勇気もない。」このような小心と無抵抗とを、加齢のせいにするには、いかにもまだ壮年に過ぎる。たんなる諦めの境地なのかも知れない。 「名札を付けて泳がされている回遊魚」 このような錯覚に襲われることもあるが、いちいち気にすると際限がない。いまは「田舎の自転車屋」のような、ごくありふれた日常の中にあって、ひたすら家族共々に安寧を願う日々を送っている。2歳足らずの末っ子を膝に、相好を崩して缶ビールをたしなむ姿が、いまは一番似つかわしい。

編著書『獄中記』(秋田明大、全共社)。『大学占拠の思想』(秋田明大編、三一新書、69)。詩集『幻視行』 (秋田明大)。参考文献『帝国主義大学解体』(日大経済学部闘争委員会編)。『反逆のバリケード』(日大文理学部闘争委員会書記局編、三一書房、69年)。『実録 山本義隆、秋田明大』(立花隆、文芸春秋10月号、69)。

時代に生きた新左翼・歴史群像~秋田明大(1)
時代に生きた新左翼・歴史群像~秋田明大(2)

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2007年1月15日 (月)

若さとリズム

若さとリズム
第1回(1965年(昭和40年)10月16日放送)

若さとリズムは、1965年10月16日から1966年4月までの、毎週土曜日20時から20時30分まで、NHK系列で放送された音楽番組である。全編カラー放送。
当時、最新の音楽事情を、歌手たちの演奏にダンサーの踊りなどを交えて司会者なしで放送するという、当時としては斬新な試みであった。また、クロマキー技術やクレーンカメラなど、映像的・演出的な当時としては新しい試みが見られる。
1966年3月12日放送分がシネスコープで録画され、「THE FLYING BALL」というタイトルでゴールデン・ローズ・オブ・モントルーに出品された。 
第1話のテープ(2インチ)が奇跡的に現存しており、愛宕山のNHK放送博物館に保存されていた再生装置を使って再生・画像修復したものがNHKアーカイブスで2007年1月14日に放送された。

○出演:弘田 三枝子
      鹿内 タカシ
      布施 明
      ザ・スカーレット
      ミュージカル・アカデミー
      東京混声合唱団
      ジャニーズ
○振付:山田 卓
○バレエ:ユニーク・エイト
○音楽:三保 敬太郎
      前田 憲男
      東海林 修
      森岡 賢一郎
      大沢 保郎
○演奏:津々美洋とオールスターワゴン
      猪俣猛とウエストライナーズ
      小俣尚也とドライビングメン
○絵:三乗 明
○美術:足立 正美
○技術:設楽 国雄
○制作:川口 幹夫
○演出:遠藤 利男

昭和と歌謡曲のリンク:

昭和歌謡とわれらの時代

誰か昭和を想わざる

Nipper

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2007年1月11日 (木)

インディーズの襲来

インディーズの襲来(インディーズの逆襲)

1985年8月8日OA
当時の年表


Indies 世界自主制作レコードカタログ
関川誠/編集 WAVE/編集
出版社名 JICC出版局
出版年月 1986年1月
ISBNコード 978-4-88063-132-5
(4-88063-132-9)
税込価格 2,625円
頁数・縦サイズ 315P 26cm





関連記事 ; パンク対ヘビーメタル ・・・?

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2007年1月10日 (水)

精神解放ノ為ノ音楽

精神解放ノ為ノ音楽

1994年2月26日(土)深夜、関西テレビで放送された特別番組(約140分放送)。
司会:アリス・セイラー(アマリリス)、ゲスト:デヴィッド・ホプキンス(Public Bath Label)。

番組内容

1 ボアダムスのライブ 
2 少年ナイフのライブ
3 ネロリーズのライブ 
4 非常階段のライブ
5 非常階段のライブ(放尿モザイク付)
6 ソルマニアのライブ?とインタビュー
7 マゾンナのライブ?とインタビュー
8 BUST MONSTERSのライブ 
9 ANGEL`IN HEAVY SYRUPのライブ
10 赤痢ライブ 
11 ソープ嬢変死のライブ
12 スーパーボールのライブ(ABCを演奏) 
フォーエバーレコードの店員さんのお話 ガンジー石原氏のお話
13 ハナタラシの軽い紹介 (ライブ映像、サウンド付)
14 UFO OR DIE ライブ
山塚アイ宅にてノイズ作成教養講座を開始、カズー、オモチャ、ストーブ等を 効果的に使用。
15 電動歯のライブ(ほぼボアダムス?)
16 コンクリートオクトパスのライブ
再度、山塚宅、レコードをガスコンロであぶる(1曲完成)
その後、風呂場にて即興レコーディング、(ライブ?)
録音失敗、 しかも苦情の電話が入る。
17 ハナタラシ ライブ(マシン×3の原曲?)
18 UFO OR DIE ライブ
19 電動歯のライブ
20 コンクリートオクトパスのライブ
21 花電車のライブ 
22 FREE KITTENのライブ(ヨシミ)
23 想いで波止場のライブ 
24 ボアダムス(1の続き)
25 ボアダムス アメリカツアー(シンプソンズの作者にサインを頂く)
26 ボアダムス 京都 52_BOREDOME 演奏
27 ボアダムス スーパールーツのプロモーションビデオ?

related link:
Bananafish mag.article

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2006年12月10日 (日)

高野悦子 しあんくれーる

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高野悦子

最後の日記より

好きなレコードをききながら、毎日を独りで過ごすのもいいですが、生活費だけはアルバイトで稼ぎ、自分の時間は好きな詩を読んだりレコードを聞いたり、そして時には旅に出たりするという生活もよい。
   
けれども闘争のない生活は、空気の入っていない風船、タマの入っていない銃、豆腐の上にのせたコンニャク、からっぽの膣、空中に向って出された陰茎……で はないでしょうか。「闘争か、血みどろの闘争か、それとも死か」という言葉があります。どこかでそんな言葉をよんだことがあります。

あなたと二日の休日をすごしたい。

一日目―夜の暗さをネオンが寂しくつつむ酒場の狭い路地で、あなたを待つ。私の体をアルコールでずぶ濡れに洗い流し、私の醜さと美しさ、あらゆるものをアルコールで溶かし去り、ただあなたの安らかな寝息のそばで眠る。

二日目―疲れた体をおこして、すっかり陽の高くなった街に出て喫茶店に入る。煙草のかぼそい、むなしい煙のゆらめきを眺めながら、ベートーベンの「悲愴」とあなたの好きなブラームスのピアノ協奏曲第一番、それに私の好きなジャズをきく。ステーヴ・マーカスの「明日は知らない」とアートブレーキーの「チュニジアの夜」、そして最後の別れとして、マハリァ・ジャクソンの力強いゴスペルソングをきく。

しあんくれーる

しあんくれーる(Champ Clair)」は 京都市上京区河原町、荒神口の電停前にあったジャズ喫茶。

the Sound of feeling / Spleen / Limelight -late 60s? USA

双子姉妹の立体的なコーラスワークをフユーチャーした Leonard Feather Presents "The Sound of Feeling".

Side A
Hurdy gurdy man
HEX
Up into silence
The time has come for silence

Side B
Along came Sam
The sound of silence
Spleen
Mixolydian mode


70年安保闘争 - 1969

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2006年11月 9日 (木)

Arthur Russell documentary

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Arthur Russell documentary ( watch the trailer )

some more insightful Arthur Russell LINKs :

Nick The Record ( DJ Friendly Records) features
Steven Hall's reminiscences
collaboration with Allen Ginsberg 

Tim Lawrence ( author of " Love Saves The Day " )
is plannin' to publish Arthur's biography.

FaithFanzine article



WFMU Arthur Russell special ( listen

tracklisting :

Dinosaur / Kiss Me Again
The Necessaries / More Real
Jah Wobble, Holger Czukay, The Edge / Hold On To Your Dreams
Arthur Russell / Losing My Taste For the Night Life

Nicki Siano / Move
Peter Zummo / Unisons
Jerry Harrison: Casual Gods / The Doctors Lie
Mimi / Time to Go Home Now
Indian Ocean / Treehouse/School Bell pt. 1

Arthur Russell / Wax the Van
Gary Lucas / Let's Go Swimming
Allen Ginsberg / Voice of the Bard
Jill Kroesen / Fay Shism Blues
Loose Joints / Tell You (Today)



Arthur Russell documentary teaser on YouTube

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2006年11月 4日 (土)

Daniele Baldelli

                                    

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Daniele Baldelli live @ Boomerang (Apr. 20th 1984) (mp3 format)

Italian Disco Scene Memorabilia Site

AfroFunkySoulDisco

AFROBRASIL 1


TOP SINGLES 12" SELECTION EVER

AFROFUNKYDISCO 20

ITALIAN DISCODANCE MENU

Links

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2006年11月 3日 (金)

Everybody Hates Chris

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Chris Rock - Everybody Hates Chris (Season 1 OP movie)


http://www.cwtv.com/shows/everybody-hates-chris
Inspired by his childhood experiences, comedian Chris Rock narrates the hilarious, touching story of a teenager growing up as the eldest of three children in Brooklyn, New York, during the early 1980's. Uprooted to a new neighborhood and bused into a predominantly white middle school two hours away by his strict, hard-working parents, Chris (Tyler James Williams) struggles to find his place while keeping his siblings in line at home and surmounting the challenges of junior high. This responsible resilient adolescent brings a distinct, funny spin to his everyday trials and traumas in UPN's new single-camera comedy EVERYBODY HATES CHRIS.

http://www.slate.com/id/2126750/
Everybody Hates Chris also visits the previously unmined territory of black generational nostalgia. Instead of the disco-tinged memories of That 70s Show, Chris features a 13-year-old boy with Grandmaster Flash posters on his wall and a fantasy life populated with fly girls and puffy white sneakers. It also has a bouncy period soundtrack, ranging from Run-DMC to the Furious Five to the Paul McCartney/Stevie Wonder collaboration "Ebony and Ivory." I only hope this brave little David of a sitcom, scheduled against Goliaths like The O.C. (one of the whitest shows on television) gets a chance to build the audience it needs to grow.

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Sample Guide 303

 Djmiffy
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Sample Guide 303

artist – title (label) ->
sampled artist – sampled title (label)

moodymann - meanwhile back at home ->
- stan ivory and his omnicifent orchestra - stans theme

jeff mills - call of the wild (pm8) ->
- michael jackson - get on the floor

jeff mills - skin deep (pm8) ->
- chip e - it´s house

jeff mills - scout (pm8) ->
- a2l - play me some beautiful dance music

jeff mills - dynamic (pm14) ->
- earth people - dance (dub)

jeff mills - the dancer (pm1) ->
- todd terry - sum sigh say

69 - rushed (planet e) ->
my mine - hypnotic tango

proteus generation (djax-up-beats) ->
my mine - hypnotic tango

dj hell - copa ->
barry manilow - copa cobano

agent x - in the morning ->
chaka khan - i know you, i live you

apollo 440 - krupa, spoken part comes from ->
taxidriver (directed by martin scorsese, with robert de niro)

neuropolitique - wide (new electronica) ->
sylvester - you make me feel (mighty real) (Fantasy, 1979)

kenny dope unreleased project - inside (strictly rhythm or 220st, France) ->
slave - just a touch of love

daniel wang - free lovin' (housedream) (balihu004) ->
trussel - i love it (love Injection lp) (elektra 1980)

hainault -"ozutsumi" (irdial) ->
nytro -"nytro express" (whitfield)

ray tracing -"the internal exterior" (irdial) ->
rhythim is rhythim -"strings of life" (transmat)

demon -midnight funk (herbert rmx) (vocal hook) ->
. alvin cash - the ali shuffle

theo parrish - commandf your soul (trackmode) ->
. the last poets - mean machine chant

herbert-oo licky ->
. faze - o riding high

andres - set you free ->
. gil scott heron

moodyman - amerika ->
. idris muhammad - turn this mutha out

norma jean bell - nobody's gonna love you ->
. joe bataan - rock me all night long

moodymann-don't be misled ->
. joe bataan-rock me allnight long

theo parrish-dark patterns ->
. bohannon-rap on mr dj

theo parrish-electric alleycat ->
. sly and the family stone-babies makin' babies

moodymann - i can't kick this feeling(planet e) ->
. intro for barry manilow - copacabana

2001 - no where (lower east side) ->
. rap is a remake of Gary Jackmaster Wallace - party time(house&efect)

babies from gong - decadent butterfly(new electronica) ->
. throbing gristle - hamburger lady (mute)

afx twin - we are the music makers (r&s) ->
. sampled of the movie willi wonka & choclate factory

kb project(dan bell) - feel it (elevate) ->
. two tones of fun - i got the feeling(fantasy)

laurent garnier - the hoe (f com) ->
. remake of Mark Imperial&co - she aint nuthin but a hoe(house nation)

christian smith & john selway - cosmopolitan (intec) ->
. sleazy d - i lost control (chicago trax)

common factor - feel what i feel (planet e) ->
. jackmaster dick's revenge - sensous woman goes disco(chicago trax)

morgan geist -nebula jersey 2 (environ) ->
. erotic drum band-love disco style (prism)

herbert - oo licky ('part one' ep, phono 002) ->
. antonio carlos jobim - the girl from ipanema

push button objects - striffle ->
. de la soul - stakes is high

push button objects - non existant (keyed in by gescom) ->
. bahamadia - three the hard way

wagon christ - reedin ->
. the roots - mellow my man
. the roots - the session

paperclip people - good girls (planet e) ->
. good men - give it up (fresh fruit)

paperclip people - stevie knows (planet e) ->
. stevie wonder - another star

paperclip people - no control ->
. john rocca - i want to be real (street wise, nyc 1983)

paperclip people - throw (planet e) ->
. loletta holloway - hit and run

paperclip people - the climax (reworked) ->
. first choice - love thang

moodymann - black mahogany (kdj, peacefrog) ->
. earth wind & fire - evil

69 - frequency finale [4 jazz funk classics] (planet e) ->
. visage - frequency

hokusai - 12 'till 4 (source direct recs) ->
. notorious b.i.g. - friend of mine (bad boy)

gescom - snackwitch ->
. ultramagnetic mc's - critical beatdown

gescom - puzl (clear) ->
. cybotron - clear (fantasy)

global communication - funk in the fridge ->
. thomas crown affair - original sound track
herbie hancock - raindance

boards of canada - aquarius ->
. hair (the musical) - age of aquarius

moodymann - long hot sexy nights ->
. marvin gaye - got to give it up

mr hazeltine - the mechanic (plug research 14) ->
. bohannon - me and the gang

sound hack - soundhack - soundhack ->
. the wisphers -

morgan geist - remnants (environ 2) ->
. curtis mayfield - kung fu

kenny dixon jr - soul sounds (soul city 02) ->
. george benson - give me the night lp

theo parrish - only the begining ->
. luther vandross - never too much

norma jean bell - i am the baddest bitch ->
. roy ayers - sweet tears

lo soul - open door (theo parrish remix) (elevate) ->
. jimmy bo horne - spank

moodymann - u can dance if you want too ->
. prince - all the critics love u in NY

moodymann - tribute ->
. marvin gaye - what's going on

moodymann - one night in the disco ->
. sister sledge - he's the greatest dancer

moodymann - shades of 78 ->
. barry white - the more i get the more i want

theo parrish - babysteps (elevate) ->
. donald byrd - lanasana's priestess

innerzone orchestra - galaxy ->
. war - galaxy

moodymann - amerika ->
. gill scott heron

rick wilhite - the godson ->
. nightwriters - let the music

moodymann - don't be misled (kdj) ->
. bionic boogie - risky changes

rick wilhite - roots of detroit ->
. prince - let it go
. pam todd - get it together
. peoples choice -

moodymann - outer drive (kdj) ->
. t-connection - do what you wanna do

fix - flash (kms, slamdunk) ->
. p funk all stars - hydraulic pump

slum village - get this money ->
. herbie hancock -

dj tink thomas - get on down - come on dance (soul city) ->
. third world - now that we found love
. roy ayers - get on up, get on down

UR - soulsaver (sid 7) ->
. al green -

robert hood aka the vision - detroit: one circle (metroplex) ->
. herbie hancock - rain dance (from album sextant)

theo parrish - jb's edit (sound signature) ->
. james brown - grunting

robert hood - rythm of vision ->
. yellow magic orchestra - technopolis - (x OO multiples lp)

moodymann - in loving memory (kdj) ->
. space - carry on, turn me on (from france '76/'77)

moodymann - black mahogany (kdj, peacefrog) ->
. curtis mayfield - pusherman
. isaac hayes - joy

69 - jam the box (planet e/r&s) ->
. skyy-line - jam the box (salsoul)

theo parrish - lake shore drive (kdj, elevate) ->
. brass construction - get it together

rick wilhite - the godson ep ->
. t-connections - do what you wanna do

shake - mr. gone is back (frct009) ->
. weather report - river people

sluts'n'strings'n'909 - starchild (it/from beyond 2) ->
. whodini - magic wand

jeff mills - black is the number (purpose maker) ->
. gino soccio - remember

paperclip people - paperclip man (retroactive, buzz) ->
. yello - bostich

69 - ladies & gentlemen (planet e) ->
. curtis mayfield - little child runnin' wild (superfly soundtrack)

piece - free your soul [future] (planet e) ->
. duran duran - the reflex

future/past - clinically inclined (art/r&s/planet e) ->
. liaisons dangereures - etre assis ou danser (liaisons dangereus)

future/past - jam packed (r&s) ->
. jonzun crew - pack jam

peninsula - my little filtershop (eevolute) ->
. shop - nitwit (planet e)

purpose maker - in the bush (purpose maker) ->
. liaisons dangereures - los ninos del parque (liaisons dangereus)

floorplan - rok (drama) ->
. gq - disco nights

shake - the rock (trackmode) ->
. gq - disco nights

jeff mills - the sun (gigolo) ->
. rockers revenge - walking on sunshine

rick wade - fade away (m3) ->
. pousezz -never gonna say goodbye

world2world - amazon (ur) ->
. homeboy hippy & funkidred - total confusion (tamtam)

reese - grab the beat (kms) ->
. the clash - magnificent (seven)

juan - beat track 18 (red parrot) ->
. whispers - and the beat goes on

paperclip people - the floor (planet e) ->
. the bombers - get dancin'

psych - funk ->
. gotching - e2e4

slss 015 (alton miller vs greg cash) ->
. gino soccio - dancer

underground resistance - riot (ur) ->
. kraftwerk - numbers (emi)

psykofuk - 12" inches of pleasure ->
. donna sumer - i feel love

pm 02 the bells (purpose maker) ->
. donna summer - i feel love

model 500 - the passage (network, apollo) ->
. james brown - funky drummer

jedi knights - solina (univeral language) ->
. herbie hancock - rain dance (from album sextant)

fuse - aproach & identify (plus8) ->
. movie logans run

mills pm 04 (purpose maker) ->
. mory konte - yeke yeke

mills pm 02 (purpose maker) ->
. rebel mc - street tuff

moodymann - i can't kick this feeling ->
. chic - i want your love

dj hell - sucide comando ference remix (disko b) ->
. chic - good times

speedy j - pepper (warp, bmu) ->
. throbing gristle - cd1

moodymann - music people (kdj) ->

. mass prod. - welcome to my world (of merry music)(cotillion'76)


                       

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NDW Archive

Affisch

 Bowie_1

       








NDW Archive (mp3 format)


tracklistings:
E.Neubauten
Exkurs: Natur (1981)
Matthias Schuster: Im Namen Des Volkes (1981)
DAF
Grauzone: Eisbar (1981)
Monoton: Root Of 1 = 1 (1983)
Andreas Dorau: Arriverderci (1982)
Christiana F: Wunderbar (1982)
Die Dominas: Die Wespendomina (1981)
Asmus Tietchens: Unterhaltsmusik (1983)
Monopol

Underground NDW 1980-1983:
Neue Deutsche Welle (New German Wave, often abbreviated NDW) was a style of German music originally derived from punk rock and New Wave in 1976. The term "Neue Deutsche Welle" was first coined by journalist Alfred Hilsberg, whose article about the movement titled "Neue Deutsche Welle - Aus grauer Städte Mauern" was published in the magazine Sounds in 1979.

WOEBOT
http://www.woebot.com/2005/11/underground_ndw_19801983.html
http://www.woebot.com/2005/12/my_ndw_on_resonance_fm.html

DISSENSUS
http://www.dissensus.com/printthread.php?t=1859

KOSMISCHE
http://kosmische.blogspot.com/2005/12/golden-hour-of-ndw-underground.html

Resonance FM/London
http://www.resonancefm.com

some more links for NDW:
http://www.backagain.de/ndw/homendw.htm
http://park10.wakwak.com/~techno/odeutsche.html

 

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2006年11月 2日 (木)

北村昌士 (July 22, 1956 – June 17, 2006)

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Canis Lupus - 天使

ろうそくの炎アルコールのにおい
耳をそばだてて君の声をきいた
もうすぐあえるねもうすぐそこに
黄昏の天使ミルクが欲しい
遠い夜のかごめの君
みずいろのルージュ
ときはなたれた小鹿さがし
どこまでも歩いても家に帰れず
うすあかりの枯野ふみしめ

花びらはいつか風のあとをこえて
まどろんだ君の夢の中に消えた
もうすぐあえるねもうすぐそこに
黄昏の天使翼が欲しい
遠い夜のかごめの君
みずいろのルージュ
あけはなたれた扉さがし
どこまでも歩いても家に帰れず
うすあかりの枯野ふみしめ




YBO2 - Canon


CANIS LUPUS

YBO2

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