『きれいな病気』
・これらの小説は中心をもたない。
空っぽの"きれいな"小説。
もし"それ"があったとしてもおフランス人の誰かが言ったような"空虚な中心をもつ東京という都市"のような"それ"。(本当かな?)
・これらの小説にはおびただしいと言いたくなる程の登場人物(彼や彼女達は皆スノッブ・レースの競技者達だ)が出てくるがその中に主人公はいない。主人公は東京であり ロス-アンジェルスでありN.Y.でありそして昔の上海でありそしてその都市の"きれいな "病気から立ち登るきれいな腐臭。都市の冷たい性器から漂うかぐわしい匂い。体温は、ない。
・本を開くと人間達は、10年前なら"倒錯的"と言われたような性行為をおどろくほど淡々とくりひろげている。
彼らは"きれいな病気"の患者だ。
男根は男の尻にねじこまれ、女はびんたをくらいながらあえぎ、というような。愛もなく嫉妬も葛藤もあんまりないセックス。まるで欲望だけが生きる証であるような。欲望の機械のような。
・ハウス・ミュージックのようなセックス。ハウスもまた中心をもたない。誰が創っても誰のものでもない音楽。音の中にあるのは享楽とエクスタシーと絶望だけ。やっぱり昔のフランス人の誰かが"エクスタシーと死は似ている"と言ってたっけ。
・"きれいな病気"はやさしくて恐い病気だ。私達は今、他の人間を(もしかすると自分も?)愛することが困難な具合になっている。でもこの病気にかかれば何かを愛せる。でも何を?
・この病気にかかれば都市と共に強烈に生き、そして死ぬことができる。それが幸福かどうかはクエスチョン・マーク。
岡崎京子(漫画家)
("今野雄二 映画評論家/小説家 ゲイ、ハウス、アシッドを描いた新しい都市小説『きれいな病気』"の表題で、新潮社 雑誌"03 (ゼロサン) " 創刊第3号 - 1990年2月発行 - に掲載・巻頭特集は"ロンドン-90年代の音楽工場 The Future Legend of Music City"・表紙写真はNick Knight撮影によるネネ・チェリー)
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