カテゴリー「日本赤軍」の記事

2010年5月18日 (火)

55本のビデオで見る55年体制下の日本

55本のビデオで見る55年体制下の日本

55 videos for Japan under the 55-year system



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2008年7月12日 (土)

赤軍 - PFLP 世界戦争宣言

赤軍 - PFLP 世界戦争宣言

  奥平剛士
  これが俺の名だ
  まだ何もしていない
  何もせずに 生きるために
  多くの代価を支払った
  思想的な健全さのために
  別な健全さを浪費しつつあるのだ
  時間との競争にきわどい差をつけつつ
  生にしがみついている
  天よ 我に仕事を与えよ
    (奥平剛士天よ、我に仕事を与えよ』)




サラーハ(安田安之) バーシム(奥平剛士)
(序章社 『 序章 9号 三戦士追悼特集』より)


赤軍−PFLP・世界戦争宣言 (1971/日)

製作: 若松プロダクション
監督: 若松孝二 /足立正生
編集: 赤軍 (共産主義者同盟 赤軍派)/ PFLP (パレスチナ解放人民戦線)
音声: 戸浦六宏 /中島葵 / 重信房子/ 岩淵進 / 松田政男 / 足立正生





無名にて死なば星らにまぎれんか
               輝く空の生贄として (寺山修司)



   オレたちは想像することができる。
   オレたちはどこへでも行くことができる。
   そしてオレたちは、奴らに向けてブッぱなすことができる。
   オリオンの三ツ星よ、八・一六のまつりの空に輝け!
   オリオンの三ツ星よ、いつの日か、
   奴らに向けてブッぱなされる銃声が、
   オマエたちを追悼するのを聞くことがあるだろう。
   (72年8月京都 テルアビブ2兵士追悼集会 集会基調 より)






関連記事 ; 重信房子 インタビュー 1973
日本赤軍関連video(YouTube Playlist)

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2007年8月 8日 (水)

東アジア反日武装戦線

東アジア反日武装戦線

「終曲」 (斎藤和 作)
  凍てた花はすぐ枯れる。
  でも新しい芽は割れ
  水は音を立てて流れ始める。
  君と一緒なら
  でもわたしには
  戦が待っている。


「...人間というものは本当に不思議なもので、ニヒリズムを通過してこそ真の理想主義にいきつく。
 あの人たちの世界は狭いが、結局僕も同じともいえるのですね。 僕は人を殺すために爆弾をつくっているわけじゃなくて、人の胸の中で何ものかを 爆発させようと思って一生懸命考えている。似たことをやっているのですね。 やはり、ある種の精神を圧殺し、ある種の精神を解放しようと思っているわけです。 そして、あの人たちは間接的にでも人を殺したら、自分をも殺さねければならないと 思っていたわけですね。これはいいことだと思いますよ。
 革命家は、毛沢東でもレーニンでも、革命が終わった日に、皆自殺すべきだ。 権力者となって生き残ったら、革命家としては終わり、というのが僕の持論です。 爆弾闘争を行った青年たちには大衆の支持がなかった、という批判があるが、 多くの人の支持を得るということは、もともとむずかしいですね。 結果においての支持であって、支持は理論以外で求められない。 しかし、理論というものはある運動の形成を経ないとできない。
 何といっても、いろんなことをやっているうちに中の数人が考えて理屈づけるということで、 初めに理屈があったわけじゃないんですよ」
(埴谷雄高 「週刊現代」昭和50年6月12日号)


埴谷雄高独白 死霊の世界 ( 「政治をめぐる断想 (1951) 」 から 「永久革命者の悲哀 (1956) 」)




    さらば日本 滅び行け日本よ
    被征服原住民の血の海の中に
    被征服原住民の肉と骨とで建国された
    征夷天皇日本よ
    俺は友を募りて旅に出る
    お前を撃ち滅ぼす為の
    お前を地上から永久に消し去るための
    世界革命の長途へと
    手には怒りの武器を持ち
    心は詞花で武装して
    我等は勝利の旅に出る
    いざ集え 輩よ
    我等が反日の旅立ちで
    (REAL & CONTEMPORAINE 又は A-MUSIK - 「反日ラップ」)

       壊され歪められた この体のジュースを
     ここで枯らしてやるのさ 生き返るためにと
     次に続く赤子たちには 新しい夢 くれてやるのさ
     俺のために お前のために おのれのためにと
    勝ち誇ったやつらの 息の根を止めるために
     燃え立ちあがる炎は 黒煙を導き
     くすんだ光に照らし出される バルーンで迎え撃つ
     銀色の鳥は干からびた明日を目指して
     歪みきった地の果てへと 高く鳴いて飛び立つ
     勝ち誇ったやつらを 食いちぎるためにと
      東の大地に埋もれた たくさんの骨は
      モンスーンに乗ってやってくるぜ 牙を向いた顔で
      俺の体によみがえれ 黄色の砂と交えて
      誰のために 誰のためにと 言うこともなく
      (REAL - 「大地の牙」)



東アジア反日武装戦線は、1960年代後半の黒ヘルグループに源流があり、日本国家をアジア侵略の元凶と見なし、解体することを目標とした。運動は1970年代半ばに集中し、連続企業爆破事件を引き起こした。中核派革労協革マル派が、党派闘争で手一杯の時期に台頭した。
思想や主張の内容から、監視対象とされた一名に対する捜査により、1975年5月19日、芋づる式に逮捕され壊滅する事となった。 一連の事件は、“”、“大地の牙”、“さそり”の三班に分かれて起こしている。

1971年(昭和46年)
大道寺将司(まさし/法政大中退、会社員)が片岡利明(法政大中退、会社員)、大道寺あや子(大道寺将司の妻/星薬科大卒、会社員)と東アジア反日武装戦線<狼>グループの前身部隊を結成した。
12月12日、大道寺らによって、熱海にある「興亜観音像」と「殉国七士の碑」を同時に爆破。

1972年(昭和47年)
4月6日、東アジア反日武装戦線<狼>前身部隊が、朝鮮に対する日本の侵略支配を正当化するものであるとして、鶴見の曹洞宗大総持寺常照殿(納骨堂)を爆破。
10月23日、東アジア反日武装戦線<狼>前身部隊が、アイヌモシリ侵略思想とアイヌ文化遺産収奪の拠点としての役割を果たしてきた北海道大学文学部の北方資料館と、日帝 ― 道庁 ― 日本人植民者によるアイヌモシリ征服の過去を形容する「風雪の群像」を同時に爆破。 

1974年(昭和49年)
3月に大道寺将司、片岡利明、佐々木規夫らによって“狼”部隊が結成され、腹腹時計(兵士読本VOL1)を出版する。

腹腹時計』 (はらはらとけい)
1974年3月に発行され、爆弾の製造方法とその仕掛け方やゲリラ戦の方法までを詳細に解説した教程本。「兵士読本VOL1」とも呼ばれる。 奥付けは、<兵士読本VOL.1 一九七四年三月一日発行 頒価一〇〇円 編集・東アジア反日武装戦線〝狼〟兵士読本編纂委員会 発行・東アジア反日武装戦線〝狼〟情報部情宣局 東アジア反日武装戦線〝狼〟情報部印刷局>となっている。

8月14日、東アジア反日武装戦線<狼>グループは、この日の午前10時58分~午前11時2分に、東京と埼玉の間にある荒川鉄橋を通過する「御召」列車(天皇は毎年7月末ごろ、那須御用邸にいき、8月14日午前に特別列車で帰京して、翌15日の戦没者追悼式に出席する)を爆破する計画(天皇暗殺攻撃=虹作戦)を立てていたが中止した。 
8月15日、韓国において、時の大統領朴正煕を暗殺しようとした事件が発生していた(文世光事件)。この事件の犯人文世光は、黒ヘルと多少の繋がりがあるとされるプロレタリア軍団傘下の高校生組織「暴力革命高校生戦線」出身であった。
8月30日、午後0時45分、東京・丸の内にある三菱重工業ビル(現・文部科学省ビル)1階ホールが、正面玄関前に“狼”が仕掛けた時限爆弾によって爆破された(三菱重工ビル爆破事件)。サラリーマンら8人が死去、380人が負傷

三菱重工爆破事件ドキュメンタリー

10月14日、午後1時過ぎ、<大地の牙>グループの斎藤和(都立大中退、ウエイター)、浴田(えきた)由紀子(北里大卒、臨床検査技師)らが、東京都港区西新橋の三井物産本社を爆破。
11月25日、東アジア反日武装戦線<狼>グループが、東京都日野市の帝人中央研究所を爆破。
12月10日、東アジア反日武装戦線<大地の牙>グループが、東京都中央区銀座2丁目の大成建設本社を爆破。
12月23日、東アジア反日武装戦線<さそり>グループの黒川芳正(都立大中退、会社員)、宇賀神寿一(うがじんしんいち/明治学院大生)、荒井まり子(法政大中退、東北大付属医療技術短大生)らも合流し、東京都江東区の鹿島建設工場敷地内を爆破。
12月23日、“さそり”によって鹿島建設が爆破。

1975年(昭和50年)
2月28日、東アジア反日武装戦線の3つのグループが、東京都港区北青山の間(はざま)組本社ビルと埼玉県与野市(現・さいたま市)の間組大宮工場を同時に爆破。
4月19日、東アジア反日武装戦線が、銀座7丁目の韓国産業経済研究所、尼崎市のオリエンタルメタル社を爆破。
4月28日、東アジア反日武装戦線が、千葉県市川市の間組作業所を爆破。
5月4日、東アジア反日武装戦線が、間組の京成江戸川橋鉄橋工事現場を爆破。
5月19日、東アジア反日武装戦線の大道寺将司(当時26歳)、佐々木規夫(当時26歳)、大道寺あや子(当時26歳)、片岡利明(当時26歳)、斎藤和(当時27歳)、浴田由紀子(当時24歳)、黒川芳正(当時27歳)、荒井まり子(当時24歳)の8人が韓国産業経済研究所爆破容疑で逮捕された。メンバーは逮捕された場合は青酸カリで自決するように決意していたが、逮捕時に青酸カプセルを飲んで自決し得たのは斎藤和のみであった

東アジア反日武装戦線 連続企業爆破事件 - 1974&1975

5月23日、東アジア反日武装戦線の宇賀神寿一(当時22歳)、桐島聡(当時21歳/明治学院大生)が韓国産業経済研究所爆破容疑で全国指名手配された。
5月25日、東アジア反日武装戦線が、東京の立川警察署北口交番など9ヶ所の交番を爆破。
5月28日、荒井まり子の姉のなほ子が走行中の列車から飛び降り自殺した。
6月13日、「七士の碑」など4件の共犯者とされた藤原義美(元法大生)も自殺した。
7月19日、東アジア反日武装戦線が、北海道警察本部警備課内を爆破。

[ クアラルンプール事件 ]
8月4日、日本赤軍の奥平純三、日高敏彦、和光晴生、丸山修、山田義昭と思われる5人がマレーシアのクアラルンプールのアメリカとスウェーデン両大使館を占拠し、アメリカ総領事らの人質と交換に、日本で勾留中の赤軍派の坂東国男、日本赤軍の西川純、戸平和夫、赤軍派の松田久、東アジア反日武装戦線の佐々木規夫を釈放させ、日航機でクアラルンプールに送り、日本赤軍は奪還した5人とともにリビア入りした。日本で勾留中の京浜安保共闘の坂口弘と赤軍派の松浦順一は出国を拒否した。

日本赤軍 クアラルンプール事件 - 1975


これ以降も、東アジア反日武装戦線によって切り開かれた爆弾闘争は、同戦線を名乗る後続部隊からさらに、「世界赤軍日本人部隊やみのつちぐも」「世界革命戦線大地の豚」「世界革命反日戦線・タスマニア1876」といった新グループによる神社や大学、企業などへの攻撃と多角化していく。また、「東アジア反日武装戦線KF部隊」「手・足としっぽの会」「反帝反日通信編集委員会」の名で、東アジア反日武装戦線の教本であった『腹腹時計』などの続編や爆弾闘争支援文書も刊行され、爆弾志向の潜在的広がりをみせる。

1976年(昭和51年)
1月6日、世界赤軍日本人部隊やみのつちぐもが、平安神宮を放火。
3月2日、東アジア反日武装戦線が、札幌市の北海道庁を爆破。同庁舎1階ロビーに仕掛けられた時限爆弾が爆発し、2人が死亡、95人が重軽傷を負った。この日は、1899年(明治32年)に制定された「北海道旧土人保護法」の公布日に当たっていた。爆発後、市営地下鉄大通り駅のコインロッカーから、東アジア反日武装戦線の署名入り犯行声明文が見つかった。それには、<道庁を中心に群がるアイヌモシリの占領者どもは、第一級の帝国主義者である>と書かれていた。 公安警察は、これらの爆弾犯人として加藤三郎をマークしていた。加藤は岐阜市内で職務質問を受けた際、爆弾材料の除草剤などを残して逃走した。加藤の行方を突き止めるために、交友関係を洗っているうちに、大森勝久が浮かんできた。大森は道庁事件現場で目撃されている不審な人物に肉体的特徴が似ていた。捜査本部は札幌市の間借り先を家宅捜査し、爆弾製造に使う工具を発見した。
8月10日、大森勝久は爆発物取締法違反容疑の別件で逮捕された。
9月1日、さらに、大森は道庁事件で再逮捕され、道警事件で再々逮捕された。だが、大森は完全黙秘を続けた。
9月10日、警察庁は大森の共犯者として、加藤三郎を全国に指名手配した。

1977年(昭和52年)
1月1日、世界赤軍日本人部隊やみのつちぐもが、京都梨木神社を爆破。
2月21日、世界革命戦線大地の豚が、大阪東急観光を爆破。
5月2日、世界革命戦線大地の豚が、東大法文1号館を爆破。
6月30日、世界革命反日戦線・タスマニア1876が、三井アルミ社長宅を爆破。

[ ダッカ事件 ]
9月28日、日本赤軍の丸岡修、和光晴生、佐々木規夫、坂東国男、西川純と思われる5人が、日航機をハイジャックし、バングラデッシュのダッカ空港に着陸させ、乗員・乗客151人の人質と交換に、日本赤軍メンバーなど9人の釈放を要求した。 その9人とは、日本で収監中の日本赤軍の奥平純三、東アジア反日武装戦線の大道寺あや子と浴田由紀子、赤軍派の城崎(きのさき)勉と植垣康博、京都地方公安調査局爆破事件の大村寿雄、当時の皇太子夫妻に火炎ビンを投げつけた(ひめゆりの塔事件)知念功、無期懲役刑中の強盗殺人犯の泉水(せんすい)博、懲役10年の判決を受け控訴中の殺人犯の仁平(にへい)映である。泉水、仁平は、獄中で待遇改善要求闘争などを展開している「獄中者組合」のメンバーであった。
10月1日、この9人のうち、植垣、大村、知念の3人は、立場が違うなどの理由で出国を拒否したが、奥平純三、大道寺あや子、浴田由紀子、城崎勉、泉水博、仁平映の6人は釈放に応じた。6人を乗せた日航機は羽田を出発し、午後、ダッカ空港に到着した。釈放犯6人、現金600万ドル(当時で約16億円)と交換に人質が解放された。その後、クウェート、シリアを経て、6日間の飛行ののち、アルジェリアのダニエル・ベイダ空港で人質全員を解放した。 当時の福田赳夫首相は「人命は地球よりも重い」と述べ、犯人の要求をのんだ。この「弱腰対応」は世界各国から批判を浴びた。 尚、浴田は1995年3月24日に日本赤軍の一員としてルーマニアで潜伏活動をしていたところ身柄を拘束され、偽造有印私文書行使の容疑で国外退去となり日本へ向かう飛行機内で逮捕、裁判で懲役20年の判決を受け、現在栃木刑務所にて服役中。2017年3月22日出獄予定。

日本赤軍 ダッカ日航機ハイジャック事件 - 1977

ひめゆりの塔事件 - 1975

10月27日、部族戦線が、東京都渋谷区の神社本庁を爆破。この時点で部族戦線のリーダーが加藤三郎ということが判明した。
11月2日、世界赤軍日本人部隊やみのつちぐもが、東本願寺大師堂を爆破。

1978年(昭和53年)
10月28日、東アジア反日武装戦線が、間組第2ハザマビル工事現場を爆破。

1979年(昭和54年)
11月12日、東京地裁は大道寺将司、片岡利明に死刑、黒川芳正に無期懲役、荒井まり子に懲役8年の判決を言い渡した。弁護側は控訴した。

1982年(昭和57年)
7月12日、東アジア反日武装戦線の宇賀神寿一が逮捕された。
10月29日、東京高裁は東京地裁での大道寺将司、片岡利明、黒川芳正、荒井まり子への判決を支持して控訴を棄却した。

1983年(昭和58年)
3月29日、札幌地裁は大森勝久に対し死刑を言い渡した。
5月18日、部族戦線の加藤三郎が逮捕された。

1987年(昭和62年)
3月24日、最高裁は東アジア反日武装戦線の大道寺将司、片岡利明に対し上告を棄却した。これで死刑が確定した。戦後の政治犯として、初の死刑判決であった。現在、「三菱重工本社ビル爆破には殺意がなかった」として、第2次再審請求中である。黒川芳正は無期懲役、荒井まり子は懲役8年と1、2審の判決通りであった。荒井は未決勾留通算により、同年11月、出所した。 片岡は養家の姓を継ぎ、「益永」となった。

1988年(昭和63年)
1月21日、札幌高裁は東アジア反日武装戦線の大森勝久に対し札幌地裁での死刑判決を支持して控訴を棄却した。
4月、東京高裁は部族戦線の加藤三郎に対し懲役18年の判決を言い渡した。

1989年(平成元年)
7月14日、最高裁は加藤三郎に対し上告を棄却した。これで懲役18年が確定した。
1990年(平成2年)
2月27日、最高裁は東アジア反日武装戦線の宇賀神寿一に懲役18年の判決を言い渡した。

1994年(平成6年)
7月15日、最高裁は東アジア反日武装戦線の大森勝久に対し1、2審の死刑判決を支持して上告を棄却した。だが、大森は冤罪を訴え続けている。

1995年(平成7年)
3月24日、日系ペルー人を装って、ルーマニアに潜伏していた浴田由紀子が逮捕された。

1998年(平成10年)
2月12日、斉藤和、佐々木規夫らに思想的影響を与えた、『朝鮮人強制連行の記録』で知られる朴慶植が「交通事故」にて逝去。奇しくも、2月21日に金大中が大統領に就任する10日前の出来事であった。

2002年(平成14年)

7月4日、東京地裁は浴田由紀子に対して「爆弾による攻撃という過激な手段を用いて、社会変革を目指した短絡的、独善的な犯行」と述べ、懲役20年(求刑・無期懲役)の判決を言い渡した。判決は「爆弾の威力は強力で、周囲の者を死亡させる可能性を認識していた」と、浴田に未必の殺意があったと認定。一方で、「長い歳月を経て、被告は社会変革のために人に危害を加えるのは誤りだったと自覚している」とし、無期懲役は重過ぎると判断した。また、20年の刑期から、5年半に相当する未決拘置日数(2000日)を差し引くことになった。
7月30日、北海道庁爆破事件で、爆発物等取締罰則違反、殺人罪などで死刑が確定している東アジア反日武装戦線の大森勝久は、札幌地裁に再審を請求した。弁護団によると、爆弾についての北海道警の鑑定結果を否定する新証拠を提出したという。道警は大森の自宅から、爆弾の主原料となる塩素酸系除草剤を検出したとの鑑定結果を提出した。しかし、検出には約10時間の検査が必要で、鑑定結果は虚偽であると指摘している。

2004年(平成16年)
5月24日、浴田に対する1審での懲役20年を支持した2審での判決を不服として被告側が上告した。
8月5日、浴田が上告を取り下げ、懲役20年が確定した。

2006年(平成18年)
11月22日、東京地裁(栃木力裁判長)は大道寺将司と益永利明の第2次再審請求について請求を棄却した。弁護側は三菱重工ビル爆破に使用された爆弾の新たな鑑定に基づき、「爆弾の威力がこれほど強いとは認識していなかった。殺意はなかった」と主張したが、決定は「威力を正確に認識している必要はなく、再審を決定する明白な証拠にあたらない」として退けた(第1次再審請求は1991年、最高裁で特別抗告が棄却された)。即時抗告。

2007年(平成19年)
3月19日、札幌地裁(半田靖史裁判長)は大森勝久の再審請求審で請求を棄却した。半田裁判長は、えん罪を主張した弁護側の新証拠について「確定判決の事実認定に合理的な疑いが生じるとは到底認められない」と判断した。弁護側は即時抗告する方針。
6月5日、東京高裁は大道寺将司、益永利明の第2次再審請求で、「再審を開始する理由はない」として、2人の即時抗告を棄却した。

現在、日本赤軍メンバーの坂東国男、佐々木規夫、松田久、奥平純三、大道寺あや子、仁平映の6人と東アジア反日武装戦線の桐島聡が逃亡中である。


関連書籍 ; 大原デジタルライブラリー 社会・労働関係 和書データベースより

No. 1
標題:新左翼運動獄中書簡集/副標題:
著者:信濃太郎編著/出版者:新泉社/出版月:1994.3/頁数:195p
叢書:/請求記号:308-Sh69/番号:1025187
No. 2
標題:あの狼煙はいま/副標題:
著者:東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃とたたかう支援連絡会議編/出版者:インパクト出版会/出版月:1996.9/頁数:251p
叢書:/請求記号:308-H55/番号:1030207
No. 3
標題:狼煙を見よ/副標題:戦後ニッポンを読む 東アジア反日武装戦線“狼”部隊
著者:松下竜一著/出版者:読売新聞社/出版月:1997.10/頁数:292p
叢書:/請求記号:308-Ma88/番号:1032843
No. 4
標題:テロ 新装版/副標題:東アジア反日武装戦線と赤報隊
著者:鈴木邦男著/出版者:彩流社/出版月:1999.9/頁数:237p
叢書:/請求記号:313-Su96/番号:1035784
No. 5
標題:友へ/副標題:大道寺将司句集
著者:大道寺将司著/出版者:海曜社/出版月:2001.5/頁数:239p
叢書:/請求記号:720-D15/番号:1039630
No. 6
標題:子ねこチビンケと地しばりの花/副標題:未決囚十一年の青春
著者:荒井まり子著/出版者:径書房/出版月:1986.10/頁数:315p
叢書:/請求記号:289-A62/番号:1040150
No. 7
標題:明けの星を見上げて/副標題:大道寺将司獄中書簡集
著者:大道寺将司著/出版者:れんが書房新社/出版月:1984.2/頁数:275p
叢書:/請求記号:308-D15/番号:1040159
No. 8
標題:反日思想を考える/副標題:死刑と天皇制
著者:東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃とたたかう支援連絡会議編/出版者:軌跡社(発売:社会評論社)/出版月:1991.1/頁数:308p
叢書:/請求記号:308-H55/番号:1040160
No. 9
標題:爆弾世代の証言/副標題:東京拘置所・死刑囚監房から
著者:片岡利明著/出版者:三一書房/出版月:1985.5/頁数:173p
叢書:/請求記号:308-Ka83/番号:1040161

参照元LINK ;
東アジア反日武装戦線に関するよもやま情報のホームページ (*注 ; 2008年8月4日確認時点ではリンク消失)
日本赤軍と東アジア反日武装戦線
東アジア反日武装戦線関連項目(Wikipedia)
東アジア反日武装戦線 関連ビデオ(YouTube Playlist)
でもわたしには戦が待っている―斎藤和(東アジア反日武装戦線大地の牙)の軌跡 (単行本)
A-MUSIK HomePage
A-MUSIK反日ラップ」について
リアル<燃え尽きた日章旗の彼方に>
1989.02.02@下北沢 屋根裏/リアル・ワンマンライブ
映画腹腹時計」 と 渡辺文樹 について
コンサート「反日アンデパンダン」について(83年秋、和光大学)
東アジア反日武装戦線“さそり”宇賀神寿一(ナックルズMOBILE NONFIXアーカイブ)


関連記事 ; 腹腹時計

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2007年7月16日 (月)

重信房子 インタビュー 1973

重信房子 インタビュー 1973





 無名にて死なば星らにまぎれんか         
         輝く空の生贄として (寺山修司)


 

重信房子 ( Fusako Shigenobu ) は、日本赤軍 ( Japanese Red Army )の最高指導者。1971年2月共産主義者同盟赤軍派国際根拠地論に基づいて、パレスチナに赤軍派の海外基地を作ろうとする。奥平剛士と偽装結婚。1972年5月30日、奥平剛士は、民間人ら100人以上を殺傷したテルアビブ空港乱射事件 ( Lod Airport massacre )で死亡

「日本赤軍と東アジア反日武装戦線」(無限回廊)
四方田犬彦パレスチナ・ナウ」より;

1971年2月にフジテレビのワイドショー『3時のあなた』で司会を務めていた山口淑子は、クルーを組織してレバノン、イスラエル、エジプトを取材し、難民キャンプの実態を「中東レポート」として日本のお茶の間に紹介した。彼女はその後、足掛け三年にわたってパレスチナ問題のTV報道を続けた。三年目の1973年ヨーロッパで、重信房子のインタビュー取材に成功、同年の8月14日に放送され、テレビ大賞優秀賞を受けた。

 

参考;本インタビューに関して、橋本敦(日本共産党)による質疑
   於・ 第084回国会 法務委員会 第13号
       (昭和五十三年六月一日(木曜日))


参考; 日本赤軍 クアラルンプール事件 - 1975

参考; 日本赤軍 ダッカ日航機ハイジャック事件 - 1977

日本赤軍関連video(YouTube Playlist)


映画「実録・連合赤軍」と岡本公三

Online Videos by Veoh.com


頭脳警察世界革命戦争宣言~銃を取れ!

参照Link:
帰国者の裁判を考える会
重信房子さんを支える会

関連記事 ; 赤軍 - PFLP 世界戦争宣言

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2007年4月23日 (月)

赤軍派 連合赤軍 日本赤軍 東アジア反日武装戦線

赤軍派 連合赤軍 日本赤軍 東アジア反日武装戦線

赤軍派 よど号 ハイジャック事件 - 1970


連合赤軍 浅間山荘事件 - 1972


重信房子独占インタビュー 1973


東アジア反日武装戦線 連続企業爆破事件 - 1974&1975


三菱重工爆破事件ドキュメンタリー


日本赤軍 クアラルンプール事件 - 1975


日本赤軍 ダッカ日航機ハイジャック事件 - 1977


参照Link:
1969-1972 連合赤軍と「二十歳の原点」
日本赤軍と東アジア反日武装戦線(無限回廊)
東アジア反日武装戦線に関するよもやま情報のホームページ
帰国者の裁判を考える会
重信房子さんを支える会
重信房子(wikipedia)
共産主義者同盟赤軍派(wikipedia)
連合赤軍(wikipedia)
日本赤軍(wikipedia)
東アジア反日武装戦線(wikipedia)

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2006年11月 4日 (土)

連合赤軍

山本直樹レッド

若松孝二「実録・連合赤軍」

1969-1972 連合赤軍と「二十歳の原点」

連合赤軍あさま山荘事件


松本清張 監修のドキュメンタリー




若松孝二 監督 映画 「実録・連合赤軍」


若松孝二 と 岡本公三

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