三里塚 幻野祭
三里塚「幻野祭」 (1971年8月14日-17日)
野次馬雑記 より ;
朝日新聞 1971年8月11日-15日にかけての記事 ;
石井新二さん、23歳。彼は成田空港建設反対の青年行動隊員である。
成田の農民にとって、反対闘争は日常化し、生活の一部だ。特殊のものではない。
ふつうの生活には、時期がくればまつりがある。だから、三里塚にまつりがあってもおかしくはない。
「民青みたいだ」との批判があった。シンジは答えた。「民青はもっと統制がとれてシッカリしてるよ」
ただ、この「まつり」には反対同盟や支援学生からの風当たりも強かった。
戸村一作反対同盟委員長 ;
私は祭ということばの響きが好きじゃない。体質的にあわないよ。祭りには思想がない。
フーテンやピッピーがギターをかき鳴らす・・。それで人集めしたって・・・
闘争はもっときびしいよ。三里塚農民の涙、怒声、旗、マイクの声、これが私の生活のなかの祭り。
祭りという復古化粉砕、反権力ということがわかっていないんだよなあ。
「加藤登紀子、ナンセンス。知床旅情なんか歌うより地下ごうを掘らせろ。その方が反対闘争にとって意義がある。」
駒井野団結小屋の地下ごうからドロだらけで出てきた中核派の学生が言った。
「ロックで踊り狂うバカどもに毛沢東語録でも読ませろ。その方がよっぽど反対闘争にとって意義がある。」
これは援農でスイカの取り入れをしていたML派の学生。
常駐学生は祭りに批判的である。「第二次代執行に向けてなんらの意義がない」
頭警・パンタの対談記事 (テーゼ機関誌『インペリアル・シアター vol.1』(1989年)) より ;
YOSHIAKI ;
その翌年(1971)に三里塚の幻野祭がありますよネ。
で、幻野祭に関しては、「出ない方がよかった」ってことだそうですけど…。
PANTA ;
いまだにそう思います。だから、農民のためのお祭をやるんだったら盆踊りの方がよかったといまだに思ってる。
だから、あれは、ホント、学生のための…でしょ?
YOSHIAKI ;
でも、青年行動隊が頭脳警察のファンだったとか…
PANTA ;
うん、実はそうなんだよネ。だから、結局 熱意に負けたっていうか、折れて…。
そのへんが主体性ないんだけどさ、果たして、あれが良かったのか悪かったのか、そんなこといっても仕方ないけどネ…。
YOSHIAKI ;
そういう事実があったということしかネ…。でも、革共同集会にしても、幻野祭にしても…
特に幻野祭はレコードになって再発までされて…。
そうすると、実際の三里塚を知らない人…、あるいはゲリラとか内ゲバとかって印象しかない人にとっては、
特にそういったイメージで見ちゃうからなおさらなんだろうけど…、
「三里塚でコンサートがあって、それに頭脳警察が出ていた!これはスゴイ!」って感じで、
妙に話がふくらんでしまう。雑誌など、そのあたり実に無責任というか、平気でそういうこと勝手に書きますからネ。。。
三里塚 成田闘争 関連video (YouTube playlist)
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