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2008年8月に作成された記事

2008年8月12日 (火)

New Romantics

New Romantics


Only came outside to watch night fall with the rain
I heard you making patterns rhyme like
Some new romantic looking for the TV sound
I'll see you're right some other time love
Duran Duran - Planet Earth


A Fine Romance
documentary chronicling the rise and fall of the New Romantic movement of the early 1980s.(duration ; 50min)




Top Ten 80s New Romantics
documentary reminiscencing about top 10 influential artists of the New Romantic movement of the 1980s. (duration ; 75min)




ロンドン・クラブ・ファッションの変遷(長澤均)
 この10年、クラブがファッションに及ぼした影響は計り知れない。それはパンクが終わった70年代後半のニュー・ロマンティックスより始まった。そしてクラブ・ファッションがアシッド・エイジの洗礼を受ける80年代後半まで、さまざまなデザイナーがさまざまなアイデアをストリートに投げかけていった。これは音楽とクラブを繋ぐもうひとつの文化史だ。

『ハイ・ファッションとストリートの間』
 そもそも80年代の大きな潮流となるファッションは70年代半ばに、その端緒が形成されたものだ。いわずと知れたパンクからニューウェイブの流れである。
 まず、ある新しいスタイルはミュージック・シーンと連動してストリートで形成される。それはつねに、それ以前のモードへのアンチ・スタイルとして現れるが、広範な支持者を得るに従って服飾業界のシステムにのったモードへと変質してゆく。この過程でストリート・スタイルを加工し、モードの領域に移行させるデザイナーがいる。いわゆるインディーズ・ブランドと呼ばれる存在である。そしてハイ・ファッションの世界が、ストリート・スタイルをモードとして公認したとき、すでにそこにはストリートの荒々しさや生命力は跡形もない、というわけだ。

『クラブから生まれた「ニュー・ロマンティクス」』
 クラブとファッションの相互侵犯関係はパンク終熄後に始まった。その最初の大きなムーヴメントは78年頃に始まる「ニュー・ロマンティクス」である。パンクの"破壊"から一種の"創造"へと移行する時期に生まれたこのムーヴメントのスポークスマンとなったのはスティーヴ・ストレンジである。当時の人気ショップ[P・X]の店員であった彼が、元リッチ・キッズのドラマーでDJ、ラスティー・イーガンとソーホーにある[ビリーズ]を週一回借りて始めたクラブが、ポスト・パンクの最初の動きとなる。彼らはその後、コヴェント・ガーデンの[ブリッツ]に場所を移すが、ここにクリエイターやその卵、いわゆる"BLITZ KIDS"が集まり、まず「フューチャリスト」と呼ばれるモノトーン主体の未来派スタイルが生まれる。いうまでもなくクラフトワークに代表される、当時のテクノ・ミュージックの流行にインスパイアされたものだ。しかしこれも長くは続かず、80年代に入り、彼らが場所を[ヘル]に変えた頃から、今度は手の平を返したようにヴィクトリアン・ファッションが流行り始める。この復古スタイルはあっというまに[ラ・キルト]や[ビートルート]といったクラブに及び、さらにはスパンダー・バレーなどのミュージシャンをも巻き込み、ニュー・ロマンティックスという大きなムーブメントとなるのである。
 クラブから新しいファッションが生まれるという、80年代以降、特徴的になる傾向はここから始まったといってよい。この80年代初頭は、クラブやその周辺からインディペンデントのデザイナーが数多く生まれた時期でもあった。有名デザイナーのアシスタントをしたわけでもなく、むろんコレクションを開く資金もないデザイナーたち、しかし彼らがストリートとモードの世界の仲介役を果たしたことは確かである。
 そんなひとりにアンドリュー・ローガンがいる。アクセサリー・デザイナーであった彼は72年から「オルタナティヴ・ミス・ワールド」という催しを始める。これはミスコンのオルターナティヴ版という主旨で始まったが、実質的にはインディーズ・ファッション・ショーというべきものであった。[GOLD]のアースクェイクを思い浮かべてもらえばいいだろう。ごく内輪で始まったこの催しも81年には[オリンピア]のような大会場で催されるようになり、ロンドンのクラブ・ファッションに多大な影響を与えることになる。ちなみに75年、デビュー前のセックス・ピストルズが演奏したところのひとつに彼の家のパーティーがある。
 帽子デザイナーとして今や、世界的に有名になってしまったスティーヴン・ジョーンズもこの時期に登場したひとりだ。ニュー・ロマンティックス系のファッション・デザイナー、スティーヴン・リナードや無名時代のボーイ・ジョージと同じ通りのスクワットに住んでいた彼も、他のふたりと同様、有名になることでそこから抜け出たのである。
 80年代を通してクラブ・ファッションがどのように変遷したか。そこにはやはり馬鹿々々しいほど単純な法則が働いていたにすぎない。ミュージック・シーンと連動して生まれた流行がある飽和状態に達したとき、すでにそれを否定し、あるいはのりこえる次のスタイルが生まれているということだ。しかしそれも蛇の脱皮のようなもので本質はたいして変わりはしない。社会的制服=スーツに対するアンティパシーによってクラブ/ストリート・ファッションも別の社会的制服を形成しているだけのことである。ファッションというものが本質的に持つ、絶えざる"差異化"と"同質化"という二重構造は、ときに極端なまでにディテールの違いにこだわるかとおもえば、ときに極端なまでに他人と同じになるスタイルを生み出す。しかしそれこそがファッションなのだ。90年代もまた、この二重構造のきしみのなかで新しいユース・カルチャーが生まれるはずである。

クラブ・ミュージックの文化誌(1993年) より抜粋

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2008年8月 9日 (土)

三里塚 幻野祭

三里塚「幻野祭」 (1971年8月14日-17日)



野次馬雑記 より ;

朝日新聞 1971年8月11日-15日にかけての記事 ;

石井新二さん、23歳。彼は成田空港建設反対の青年行動隊員である。
成田の農民にとって、反対闘争は日常化し、生活の一部だ。特殊のものではない。
ふつうの生活には、時期がくればまつりがある。だから、三里塚にまつりがあってもおかしくはない。
「民青みたいだ」との批判があった。シンジは答えた。「民青はもっと統制がとれてシッカリしてるよ」

ただ、この「まつり」には反対同盟や支援学生からの風当たりも強かった。

戸村一作反対同盟委員長 ;
私は祭ということばの響きが好きじゃない。体質的にあわないよ。祭りには思想がない
フーテンやピッピーがギターをかき鳴らす・・。それで人集めしたって・・・
闘争はもっときびしいよ。三里塚農民の涙、怒声、旗、マイクの声、これが私の生活のなかの祭り。
祭りという復古化粉砕、反権力ということがわかっていないんだよなあ

「加藤登紀子、ナンセンス。知床旅情なんか歌うより地下ごうを掘らせろ。その方が反対闘争にとって意義がある。」
駒井野団結小屋の地下ごうからドロだらけで出てきた中核派の学生が言った。
ロックで踊り狂うバカどもに毛沢東語録でも読ませろ。その方がよっぽど反対闘争にとって意義がある。」
これは援農でスイカの取り入れをしていたML派学生
常駐学生は祭りに批判的である。「第二次代執行に向けてなんらの意義がない」


頭警・パンタの対談記事 (テーゼ機関誌『インペリアル・シアター vol.1』(1989年)) より ;



YOSHIAKI ;
その翌年(1971)に三里塚の幻野祭がありますよネ。
で、幻野祭に関しては、「出ない方がよかった」ってことだそうですけど…。

PANTA ;
いまだにそう思います。だから、農民のためのお祭をやるんだったら盆踊りの方がよかったといまだに思ってる。
だから、あれは、ホント、学生のための…でしょ?

YOSHIAKI ;
でも、青年行動隊が頭脳警察のファンだったとか…

PANTA ;
うん、実はそうなんだよネ。だから、結局 熱意に負けたっていうか、折れて…。
そのへんが主体性ないんだけどさ、果たして、あれが良かったのか悪かったのか、そんなこといっても仕方ないけどネ…。

YOSHIAKI ;
そういう事実があったということしかネ…。でも、革共同集会にしても、幻野祭にしても… 
特に幻野祭はレコードになって再発までされて…。
そうすると、実際の三里塚を知らない人…、あるいはゲリラとか内ゲバとかって印象しかない人にとっては、
特にそういったイメージで見ちゃうからなおさらなんだろうけど…、
「三里塚でコンサートがあって、それに頭脳警察が出ていた!これはスゴイ!」って感じで、
妙に話がふくらんでしまう。雑誌など、そのあたり実に無責任というか、平気でそういうこと勝手に書きますからネ。。。


三里塚 成田闘争 関連video (YouTube playlist)


参考 ; '80年代ノンセクト左翼運動とサブカルチャー

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