重信房子 インタビュー 1973
重信房子 インタビュー 1973
無名にて死なば星らにまぎれんか
輝く空の生贄として (寺山修司)
重信房子 ( Fusako Shigenobu ) は、日本赤軍 ( Japanese Red Army )の最高指導者。1971年2月、共産主義者同盟赤軍派の国際根拠地論に基づいて、パレスチナに赤軍派の海外基地を作ろうとする。奥平剛士と偽装結婚。1972年5月30日、奥平剛士は、民間人ら100人以上を殺傷したテルアビブ空港乱射事件 ( Lod Airport massacre )で死亡。
「日本赤軍と東アジア反日武装戦線」(無限回廊) 、
四方田犬彦「パレスチナ・ナウ」より;
1971年2月にフジテレビのワイドショー『3時のあなた』で司会を務めていた山口淑子は、クルーを組織してレバノン、イスラエル、エジプトを取材し、難民キャンプの実態を「中東レポート」として日本のお茶の間に紹介した。彼女はその後、足掛け三年にわたってパレスチナ問題のTV報道を続けた。三年目の1973年ヨーロッパで、重信房子のインタビュー取材に成功、同年の8月14日に放送され、テレビ大賞優秀賞を受けた。
参考;本インタビューに関して、橋本敦(日本共産党)による質疑
於・ 第084回国会 法務委員会 第13号
(昭和五十三年六月一日(木曜日))
参考; 日本赤軍 クアラルンプール事件 - 1975
参考; 日本赤軍 ダッカ日航機ハイジャック事件 - 1977
映画「実録・連合赤軍」と岡本公三
参照Link:
帰国者の裁判を考える会
重信房子さんを支える会
関連記事 ; 赤軍 - PFLP 世界戦争宣言
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