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2007年4月 3日 (火)

早稲田という病 - 2

早稲田という病 - 2

InternetArchiveより再録






リンチ殺害された川口大三郎君



47年11月9日、東大に遺棄された事件の最初の報道。


早大・川口事件

1972年11月8日、東大病院に一人の死体が遺棄された。

9日朝、東京文京区の東大付属病院構内で、パジャマ姿の若い男が死んでいた。入院患者に該当者がなく、全身に棒で殴られたような傷跡があった。本富士署ははだしの足の裏がきれいであることなどから、別の場所で殺されて運ばれた疑いが強いとして、警視庁の応援を求め捜査を開始した。

男は25、6歳、身長170センチぐらい、鼻が高く、髪が長い。真新しい紺と薄緑の縦縞のパジャマを着ていた。胸、腹、背中に20数カ所の擦過傷、内出血があり、首に6カ所、右腕にも1カ所同じような傷があった。(毎日72.11.9)


学生の革マル糾弾集会

11月13日正午、早大第一文学部自治会(革マル系)は文学部中庭で、事件後初めて「11.13反省集会」を開いた。ヘルメットを脱いだ長髪の学生が「川口君の死に深く反省し、自己批判する」と何度もスピーカーで繰り返す。事件の責任をとって、革マル全学連委員長を辞任した第一文学部4年、馬場素明君も「徹底的に自己批判し、深く反省する」と訴えた。約100人の学生が黙りこくって耳を傾けていたが、午後1時頃、約500メートル離れた本部校舎図書館前で「革マル暴力追放集会」を開いていた一般学生約300人がなだれ込んだ。学生たちは革マル派幹部に本部校舎で集会を開こうと要求、革マル側は文学部構内の記念会堂前広場を提案。約2000人が記念会堂前に集まったが、再び学生の多い本部校舎で開くべきだと一般学生の声。
これに対し、田中敏夫全学中央自治会委員長らは「その必要はない」と拒否したため、学生たちが怒りだし、幹部学生をムリヤリ連れ出そうとした。革マル派学生はキャンパスを逃げ回り、一般学生はこれを追い回し、早稲田通り馬場下交差点まであふれだし、両脇を学生に押さえられた革マル派幹部学生5、6人が本部校舎に連行された。吉本孝男など革マル派学生2名が三週間のけがをするなど、混乱の内に午後2次過ぎ、図書館前で集会が始まった。一般学生が革マル派学生に自己批判を求めてつるし上げする集会となり、一般学生も3000人にふくれあがった。
学生の中から選ばれた議長団が川口君を殺したことの釈明を求めると、田中委員長はしどろもどろになりながら「川口君の死は意図しないものだった。二度とこのようなことはしない。今はこれだけしか言えない。」との答え。これに対し「人を殺さないとの確約書を書け」「人殺しと革命にナンの関係があるのか」などヤジが飛び会場は騒然。
マイクを突きつけられ発言を求められる革マル派幹部は頭をたれたまま青ざめ、マイクに手も出さない。それでも何かしゃべろうとすると、たちまちヤジ。6人は沈黙戦術。
夕方になっても学生の数はますます増え、図書館の屋上や教室の窓にも鈴なり。警視庁機動隊員200人が待機する中、夜まで抗議集会が続いた。(毎日11.14)

革マル派幹部に対する一般学生の追及集会は14日朝まで延々18時間も続き、徹夜のつるし上げとなった。このため大学側は「6人の生命に危険がある」として機動隊の出動を再三要請、初めは「学生を刺激するだけ」しぶっていた警察当局も、大学側の4度目の要請に、14日午前8時前川口君殺害事件以来初めて早大構内に入り、6人と一般学生にまじっていた1人の計7人を“救出”した。さらに同署は、6人を取り囲んでの徹夜集会は不法監禁の疑いがあるとして捜査を始めた。集会に参加した学生は大学当局が学生を遠巻きにするだけであっさり機動隊導入に踏み切ったことに強く反発、続々とつめかけた約1000人の一般学生が徹夜組の500人に加わり、今度は大学に対する抗議集会を続けた。(毎日11.14)

11.15 糾弾集会
午後二時から事件後三回目の革マル糾弾集会を民青系および一般学生約1000人で行う。田中敏夫は「ある特定の政治力学上の条件下では暴力もやむえをえない」とし、政治的に利用されるとして、学生側の要求する「暴力をふるわない」という確約書にサインすることを拒否。翌日の集会に必ず出ることを確約させて集会を終わる。
田中前委員長は「川口君の両親にあやまれ」と男女学生4人に涙声で詰め寄られ、壇上にひざまづいて深々と頭を下げる一幕も。

11.16 田中前一文委員長は糾弾集会で「自治会活動を進める上で意見の対立は、イデオロギー闘争によって解決し、異なった意見に対して暴力による解決は認められない。現在の学生運動にありがちな暴力行為は使わず、正常な自治会活動をすすめるよう努力したい。しかし、支配階級と被支配階級の間における国家権力の暴力には対決していく」という内容の確約書にサイン、学生は拍手で受けとめた。



11.17 川口君追悼集会(於:大隈講堂)


川口サトさんも、「大学当局の怠慢と暴力をなくすためにみなさんといっしょに終生闘っていきます」と挨拶、これに対して大学は11.17告示なる管理強化を内容とする告示を発表した。

11.18 糾弾集会で馬場全学連前委員長らが「リコール運動には暴力的敵対はしない。リコールされれば辞任する」旨の確約書にサイン。各学部でリコール署名がスタート。

11.22 革マル派数十名が「民青の自治会乗っ取り策動粉砕」「三役処分粉砕、自治会室奪還」を叫んで、文学部に乱入。

11.24 革マル約70人が「当局処分撤回、民青による自治会乗っ取り粉砕、自治会室奪還」の集会を開く。一方革マルの居座りを糾弾する決起集会を開いていた学生が革マルの集会を取り囲み、牛蒡抜きにして排除、その際田中前委員長がけがをしたほか、数名の負傷者を出した。

11.25 革マル派250人(全都動員)、田中敏夫のけがを口実に反撃。

11.27 革マル派全国動員の300名本部前で集会。

11.28 大学当局、ロックアウト。革マル派は、それにもかかわらず文学部181教室を占拠。予定されていた一文学生大会は15号館で他学部学生4000人の支援のもとに1500名を集めて開催。革マル執行部をリコール、臨時執行部9名を選出、暫定規約を採択。夜には社会科学部も学大を開催。革マルは400名で学大粉砕を叫ぶ。

11.29 同じくロックアウトの中、教育学部の学生大会開催。大隈講堂前で報告集会の後、数千人規模のデモ。革マル鶴巻公園に500名。

11.30 検問体制のなか、政治経済学部学生大会、夜には二文も学生大会、川口サトさんも参加。

12.1 商学部学生大会。法学部でも学生大会が行われたが、法学部自治会、民青執行部がリコールされそうになり、10名足らずの不足を理由に学生「集」会に切り替えられた。

12.2 一文で各クラス代表によるクラス協議会が発足。革マルの反撃は個人テロにエスカレート、これに対して一文行動委員会が結成された。

12.4 川口サトさんらが清水・竹内両理事に対して当局の責任を追及した。川口サトさんは位牌を理事に突きつけ、「これまでの大学の発言には何の誠意もない。弔慰金なんか受け取らない。お金より大三郎を返して」と訴えた。大学は村井総長への面会を拒否した。

12.5 本部前で総長団交総決起集会を1500名で開催したが、総長は出席せず。文学部では浅井一文学部長の出席で大衆団交。学部長は「村井総長に団交への出席を要請する」旨の確約書にサイン。

12.6 村井総長は団交拒否。

12.7 政経学部、新執行部。

12.8 臨時執行部主催「寒い冬を越すための大コンサート」

12.9 冬休みに入る

1.7 全学前段階総決起集会

1.8 全学総決起集会 全学行動委員会、黒ヘル着用。

1.11 政経学部、学部団交。

1.12 団交要求集会

1.13 一文で自治委員選挙告示、革マルのバリケード突破し、選挙

1.16 政経学部、学部団交。

1.17 一文、革マル派の自治委員総会。それに対抗した反革マル部隊が革マルの攻撃を受け、十数名が負傷。

1.18 文学部、ロックアウト。これに抗議する行動委員会などが機動隊と衝突、一名逮捕。夕刻、中核派が革マル派と本部正門前で衝突(中核60名逮捕、革マル逮捕者無し)。

1.19 革マル文連総会。政経学部学生大会。11号館に追いつめられた革マルが投石などで対抗、政経学部生一名、頭蓋骨陥没の重傷。その後の乱闘でも30数名が負傷。


内ゲバによる混乱


1.20 理工学部をのぞき全学ロックアウト。革マル・ノンヘルテロ部隊が2J生などを襲撃。

1.22 政経学部、試験阻止。機動隊導入、15名逮捕。

1.23 一文学生大会、1500名で開催。期末試験をストライキで阻止することを採択。1週間ストライキを決定。

1.24 一文行動委員会中心にピケスト突入。革マルとこぜりあい。大学当局、試験延期。

1.25 教育学部、学生大会。一文では自治委員総会成立のための定足数を突破。

1.27 一文、新執行部、自治委員総会開催。

1.29 一文、第二回学部団交。教育学部スト突入。

1.30 一文、学生大会。第二派の1週間スト可決。

1.31 社会科学部、学生大会。一文自治委員総会。

2.1 一文学部団交。

2.2 政経、学生大会で3カ月ストライキ可決。社学団交、教育団交。

2.3 政経、教育で学生大会。

2.5 一文、学部団交。十人委員会総長団交を実現するよう教授会に要請する旨の確約書にサイン。

2.6、7 一文で学部集会。一文団交実行委員会、二文新入生歓迎委員会結成。

2.8 一文、卒業予定者分離試験実施。10号館で、総長団交要求総決起集会、ストに反対する法学部執行部に法学部行動委員会などから反論。春休暇に入る。

2.23 48年度入学試験開始(3/2まで)。受験生へのビラ配り、機動隊と衝突。

4.1 新入生連帯と総長糾弾闘争への全学総決起集会。



混乱の中行われた入学式には、黒ヘルが乱入、中止となった。


4.2 早稲田大学入学式で、総長挨拶の最中、黒ヘルが壇上に乱入。午前の部の段階で入学式中止。革マル派は式場外で集会。

4.4 革マル派、鉄パイプで襲撃。負傷者30数名、うち重傷10名。

4.5 本部前で、「4.4革マル鉄パイプ襲撃弾劾集会」。偵察に来た革マル派一名が包囲される。

4.9 二文で小競り合い。4.10 革マル、代々木駅で集団登校の学生に鉄パイプ攻撃。負傷10数名、重傷3名。

4.11 革マル「統一行動」集会(約100名)、続いて一文で「4.9告示」糾弾集会。

4.13 教育学部学生大会、革マルの妨害で成立せず。

4.14 新入生連帯討論集会、革マルの妨害で出来ず。

4.21 一文学生大会。革マルの妨害行動。

4.23 二文学生大会後、高田馬場まで500名でフランスデモ。教育学生大会、革マルの妨害で流会。

4.24 一文自治委員協議会

4.28 革マル220名、「4.28全国集会」のため集会。

5.2 一文、学部団交。革マル10数名壇上に乱入。これにより、学部側が団交継続拒否。

5.4 一文、自治委員協議会で5.2団交の総括。

5.7 一文団交を妨害するために、革マルが全都的動員をかけ、文学部で衝突(2名負傷)。

5.8 総長拉致団交




村井早大総長拉致団交

全学行動委員会は理工学部で講義を行っていた村井総長を法学部8号館301教室に拉致。約2000名の学生が集まる。村井総長は、5.17正式団交を約束。革マルとの衝突も。

5.12 早慶交流集会
慶應義塾で、学費値上げ反対闘争を行っている慶応大学生と連帯、第三次早大闘争を全国的に闘うことを決議。早朝、革マルは慶応大学スト団交実行委に無差別鉄パイプテロ(5名負傷)。早慶学生300名が早稲田に向かったが、機動隊に阻まれ、東大で集会。
夜、革マル30名が8号館を鉄パイプで襲撃、4名負傷。

5.14 革マル、4、8、16、22号館などに7度の襲撃。
この日、法学部学生大会がはじめて開かれたが、民青執行部リコールが可決されるや、10名の定員不足を理由に流会とされる。
夕方、一文自治会委員長が法学部8号館前で革マルに鉄パイプで襲撃され、重傷。

5.15 革マル全国動員(500名)で本部集会。

5.16 5.17総長団交粉砕を叫ぶ革マルの集会。

5.17 革マル派、早稲田一帯を制圧。全学団交実行委など500名が夕方正門前で集会。校内に入ろうとするや、革マルが鉄パイプ攻撃。1000名に膨れた学生は再度構内突入を図ろうとしたが、機動隊に規制され、500名が外堀公園に連行された。

未完

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