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2007年2月に作成された記事

2007年2月28日 (水)

水木しげる

水木しげる

水木しげる

水木 しげる(みずき しげる、大正11年(1922年)3月8日 - )は日本の漫画家、世界妖怪協会会長、日本民俗学会会員、民族芸術学会評議委員。本名は武良 茂(むら しげる)。

のんのんばあ
のんのんばあとは、彼がべビィ(水木語で子供を意味する)のころ武良家にお手伝いにきていた景山ふさという老婆のことである。当時の鳥取では神仏に仕える人を「のんのんさん」と言っていたという。のんのんばあは子供たちを集めてはおばけや妖怪や地獄の話をしてくれた。




悪魔くん 千年王国
1964年貸本劇画の出版社東考社より刊行された。悪魔くんが十二使徒とともに革命を目指す物語。当初全五巻の構想だったが、人気が振るわず三巻で完結。

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2007年2月14日 (水)

人類の月面着陸は無かったろう論

人類の月面着陸は無かったろう論

In an episode of Fox TV's Family Guy, a flashback shows the ending of filming the hoax, with Neil Armstrong walking out of the studio and a pedestrian seeing him. When the pedestrian asks why he is not in space, Neil Armstrong makes a feeble excuse about "solar winds" before killing the man. In the episode "If I'm Dyin', I'm Lyin'," Peter said that his "healing powers" were a fake, "like the Moon landings".



Apollo Moon Landing hoax



アポロ計画陰謀論


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2007年2月 1日 (木)

伊藤律と沖縄

伊藤律と沖縄


武装闘争期の日共について(宮地健一のホームページ より)


伊藤律(りつ) について ;
1913年6月27日~1989年8月7日
除名された日本共産党指導者。岐阜県生まれ。恵那中を経て。1930(昭5)年 一高に入学するが、32年6月、共産青年同盟に加入、9月放校処分。 33年2月、共青中央事務局長となり、日本共産党に入党。 同年5月検挙され、特高の宮下弘(のちゾルゲ事件の捜査担当)に取り調べられ、 共青中央の組織を自白した。34年12月に予審を終えて保釈出所、4月懲役2年、 執行猶予3年の判決、37年8月頃から、長谷川浩に協力して党再建活動に参加した。 全国購買組合勤務を経て、39年8月満鉄東京支社調査部嘱託として入社。 尾崎秀実と交遊。共産党再建グループとして11月検挙(40年8月一時釈放、41年9月再検挙)。宮下の取り調べに北村トモの名を挙げたことが、41年のゾルゲ事件検挙の端緒となったといわれる。 42年6月保釈出所。11月懲役3年の判決。東京拘置所で服役。優遇され雑役係となった。戦後日本共産党に復党。46年5月の第5回大会、翌年第6回大会で、徳田球一の寵愛で中央委員、政治局員となり、50年分裂では所感派(主流派)、マッカーサー司令部による6・6追放で地下活動。51年秋中国に渡り、当時の主流派の最高指導部「北京機関」に参加。 53年スパイとして除名され、中国で投獄。80年9月3日帰国。 文献に「伊藤律の証言」(81年)など。

生還者の証言 - 伊藤律

普天間基地の移設候補地とされる名護の町の中心街の一角に、占領期日本共産党の指導者徳田球一の立派な顕彰碑が建っている。 徳田は沖縄本島でも周辺の名護出身である。 名護市はまた、ゾルゲ事件で獄死した画家宮城與徳の出身地でもある。 名護が産んだ徳田球一と宮城與徳を結ぶ線上に、「伝説の革命家」伊藤律がいる。

沖縄には、ゾルゲ事件や沖縄共産党との関連で、伊藤に関心を持つ人たちがいる。

ゾルゲ事件と伊藤律「端緒説」(「生きているユダ」伝説)
伊藤律は、戦前からの日本共産党活動家であったが、治安維持法違反で特高警察に逮捕される。 この際、伊藤律が特高警察官・伊藤猛虎の取り調べに対し「アメリカ帰りのおばさん」について自供、 ついで「アメリカ帰りのおばさん」こと北林トモの自供で沖縄出身の画家・宮城与徳が逮捕され、 宮城の自供からゾルゲ・尾崎グループの摘発に至った、というのがこの説の骨子である。 尾崎秀樹によって唱えられ、松本清張もまた「革命を売る男・伊藤律」の中で補強、 長年にわたってゾルゲ事件の「定説」として信じられてきた。

「北京機関」
日共は、コミンフォルムが出した「野坂批判」をめぐって1950年以降、所感派国際派に分裂。 所感派幹部は極秘に日本を脱出、中国へ渡り、「司令部」(俗に「北京機関」と呼ばれた)を作るのだが、 この北京機関政治局内部で、毛沢東-徳田球一-伊藤律を結ぶ一派と李初梨-野坂参三を結ぶ一派によって権力闘争が発生する。 徳田球一が北京で客死すると一気に対立は激化。 李-野坂ラインは伊藤律を政治局から排除するために伊藤律の「隔離査問」に踏み切るが、 この時に「伊藤律端緒説」が利用される。 伊藤は政治局から追放され、後に党からも除名。 そして、中国当局による釈放~帰国まで27年間にわたって中国の監獄に幽閉される。
反対意見の存在を認めない「革命党」の非人間的体質と、「国際共産主義運動」「人間解放」の美名の下で行われた人間に対するこれら革命党内部の深い敵対は、 戦前宮本顕治袴田里見らの「スパイ査問」致死事件や、不破哲三の体験した全学連武井グループによる東大細胞リンチ事件を想起させ、日本共産党史の暗部を照射する。

伊藤律・帰国事件
1980年9月3日午後1時45分、中国で死亡したと思われていた伊藤律(当時67歳)が中国民航の臨時便で帰国する。
ようやくゾルゲ事件の研究が日本でも行われるようになったのは、ソ連崩壊によって旧ソ連時代の文書の公開が進みはじめたことが背景にある。 中でも、社会運動資料センター代表・渡部富哉氏は、日露両国でさまざまな文献を調査し、 ついに「伊藤律逮捕前から特高警察によって北林トモが既にマークされていた」事実を突き止める。 このことは、「伊藤の供述によって北林が逮捕された」というこれまでの通説を根底から覆すものになった。 伊藤律が着せられていた「濡れ衣」は、こうしてついに剥ぎ取られ、伊藤律端緒説は崩壊したのである。

参考:伊藤律会見報道事件
昭和25年(1950年)9月27日付け朝日新聞夕刊に、当時レッドパージにより地下に潜伏中だった日本共産党幹部伊藤律と宝塚市の山林で会見したとする記事が載った。書いたのは神戸支局の中堅記者。 しかし当時伊藤を捜査していた法務府特別審査局の幹部に対し、取材記者の供述に矛盾が出、ついにこの記事が完全な虚偽であったことを自白した。


日共 六全協 - 1955



伊藤律 帰国事件 - 1980




参考:ひめゆりの塔事件 - 1975


リヒャルト・ゾルゲ(Richard Sorge) について ;

ゾルゲ事件の新たな調査記録2点、資料集として出版
太平洋戦争の開戦を前に日本とドイツの機密情報をソ連に流したゾルゲ事件について、戦後に米国側が行った調査記録2点が発見され、『ゾルゲ事件資料集』(社会評論社)として出版された。暗号の仕組みなどが初めて明らかになり、米国人協力者の存在も浮かび上がった。

米国公文書ゾルゲ事件資料集 (単行本)
白井 久也 (編さん)

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