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2006年11月15日 (水)

革労協(革命的労働者協会) - その3

★その3:「現代社派」と「赤砦社派」の分裂=所謂、革労協「主流派」・「反主流派」の分裂

●「ゴスペル闘争」
反共主義・ファンダメンタリズムなどを掲げる「明大ゴスペル愛好会」
(ゴスペル研究会、ヨハン早稲田キリスト教会系列)との闘争が激化。

1998年10月18日 東京都新宿区戸山二丁目、同教会牧師の金圭東を襲撃。

1999年5月 闘争をやめて事態の鎮静化を図る穏健派である総務委員会内少数派の赤砦社派」(反主流派、明治大学系、山茂派、木元派)と、徹底抗戦を主張する強硬派で多数派の現代社派」(主流派、狭間派、千木良派)が対立~分裂へ。

●所謂、革労協「主流派」・「反主流派」について
主流派:
指導者 - 狭間嘉明
俗称 - 狭間派、千木良派、現代社派 = 「主流派」
拠点 - 「現代社」(杉並区高井戸)

反主流派:
指導者 - 山田茂樹
俗称 - 山茂派、木元派、赤砦社派 = 「反主流派」
拠点 - 「赤砦社」(台東区下谷)


■「全面戦争」を宣言~「明大戦争」~「明大失陥」

1999年

6月4日 狭間派のテロ部隊が山田茂樹に「死を狙った襲撃」をかけ、瀕死の重傷 (右上腕部骨折、左右大腿骨”開放”骨折、全身打撲で全治10ヶ月)を負わせる。

6月8日 山茂派が襲撃に備え明大学内サークル室などに搬入していた伸縮式鉄パイプや特殊警棒、金属バット類をタネに警察が入り、 中心メンバー17名が凶準で逮捕。

6月12日 明大駿河台の学生部隊(=山茂派)に向け、狭間派は「私服部隊で武装潜入」をかけ 明大学生会館内の革労協各拠点の奪還を図る。(襲撃開始寸前未遂。)

6月13日 山茂派は『6・13軍声明』として、明確に狭間派に対し事実上の「全面戦争」を宣言。

7月2日 山茂派は狭間派の「明大生協理事」となっていた(キャップ古参)荻野氏(長田佳比古)を襲撃し殺害。
(松戸市で出勤中のバイクを倒され、側頭部へのハンマー連打を浴びその場で絶命。)(分裂後、1人目の死者)

7月21日 狭間派は7・2の報復として山茂派の同生協職員・中山(相川一郎)を殺害し反撃。(分裂後、2人目の死者)

7月22日 狭間派は明大生田キャンパスに再度、全国動員公然ゲバ部隊を差し向け、 構内の山茂派に白昼の襲撃。だが山茂派部隊はいち早く大学の退去命令に従い”逃走”、 狭間派のトラの子37名は、凶準と建侵で構内に入った全員が検挙・起訴され壊滅的打撃を受ける。

この大量逮捕がたたり、拠点の明治大各キャンパスはじめ山谷や福岡、九州大など「同派のシンボル」から 狭間派が一掃され、革労協の拠点は三里塚現闘以外、山茂派一色に塗り替えられてしまう。
ところがその後、明大学生会館でナゾの放火事件が起き、
同時に「明大生協」の争議に足場のないはずの狭間派が暴力的に介入してくる。

明大当局はこれ以降、警察とスクラムを組み「殺人学生集団」追放攻勢へと一挙に転じて、革労協内部の内ゲバを最大限利用し学内新左翼勢力の一掃にも成功する。
生協の解散→民間委託、強制ロックアウト、拠点の使用禁止、ガードマン導入入構者選別、学園祭中止・・・
など次々繰り出される攻撃的措置により、 活動拠点は奪われ、資金源となっていた生協・自治会費からの収入も断絶され
事実上山茂派は「革労協にとっての金城湯池=明大」をこれで失ってしまい壊滅的な打撃を受ける。

(参考:早大・大経大における革マル派の拠点失陥)

11月14日、山茂派は、狭間派幹部安部利昭を襲撃。ハンマーなどで頭を殴られて殺される。(分裂後、3人目の死者)

(参考:1999年、滝口弘人が亡くなる。)


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